赤松貞明(あかまつさだあき)
高知県出身。
1910年(明治43年)7月30日-
1980年(昭和55年)2月22日

日本の海軍軍人。
最終階級は海軍中尉。
日中戦争、太平洋戦争の撃墜王。

特に局地戦闘機「雷電」の
乗り手として知られている。

「悪名高きエース」の愛称を持ち。

図抜けた操縦技術と
計算し尽くされた航空理論を持つ
頭脳派の大ベテランであり、
数多くのエースたちが彼を愛し
また、賛辞を送り慕った。

1928年(昭和3年)に
佐世保海兵団に四等兵として入隊、
その4年後に第17期操練を卒業した
戦闘機操縦者の古豪である。

岩本徹三が34期生、
岩井三郎が35期生だった。

酒好き、喧嘩好き、女好きで、
豪放磊落な人物であり、
破天荒でまさに無頼漢であった。

後輩の岩井勉も

「赤松空曹長と言えば、
 海軍戦闘機搭乗員の古豪で、
 戦闘機の関係者のなかでは
 誰一人として
 彼を知らない者はないほど有名である。

 体格も良く、
 顔立ちも美男子の部類に属し、
 酒は2人前以上いけるし、
 口は雄弁であり、
 本職の戦闘操縦技量は、
 誰も劣らぬ腕前と胆力を持っている。

 また武技、体技にも秀でており、
 柔道、相撲、水泳を
 合わせて十一段と自称しており、
 たしかに何をやらせても強かった。

 しかしそのなかで最も有名で
 優れているのは
 女遊びではなかったろうか。

 それも人目をはばかって
 コソコソやるのではなく、
 公然とやるのだから愉快である」

と語っている。

坂井三郎は、

「大先輩赤松中尉は頭脳明晰、
 気力体力共に抜群で
 柔道、剣道、弓道、相撲
 合わせて十五段、
 水泳も抜群の猛者で、
 全盛期には日本海軍戦闘機隊では
 戦後、右に出る者はいないと
 言われるほどの強者。

 下士官時代には勇気あまって
 若干の粗暴の振る舞いありと
 批判されたこともあったが、
 おくればせながら准士官、
 特務士官と進級するうちに人格を増し、
 大東亜戦争に入っても老練、
 なお日本海軍戦闘機隊に
 赤松ありと認められ、
 部下、後輩たちからも
 尊敬畏敬された強者であり、
 よき指導者でもあった。

 迎撃戦闘機である雷電で
 ヘルキャットと互角に渡り合える
 戦闘機パイロットは、
 後にも先にも
 赤松中尉のほかにいないだろう。

 このときの赤松先輩の勇姿を、
 私は今も忘れない」

と語っている。

赤松は自伝で

「記録にはないが、
 私の撃墜数は350機程と思い、
 日中戦争で242から243機撃墜と思い、
 太平洋戦争では百数十機ほどでしょう。

 数だけなら世界記録であろうが
 あの時代の特殊なものであり、
 飛行機の進歩発達は
 そのスピードと同じように急速で
 隔世の感があり、
 戦法が全く異なってきたから
 現在では個人でこの数を撃墜することは
 及びもつかなくなった」

と述べている。