1914年、
大場栄は愛知県の農家に誕生。

実業教員養成学校を卒業し、
地理の教諭となります。

しかし、1934年、
徴兵によって
陸軍に入営することになったため、
将兵を目指すようになります。

1941年、太平洋戦争勃発。

1944年2月、
歩兵18連隊中隊長として
サイパンに転出。

1943年~1944年、
アメリカ軍を中心とした連合軍は、
ソロモン諸島、ギルバート諸島、
マーシャル諸島へと進攻。

日本軍は追い詰められていきます。

連合軍が次に狙ったのがマリアナ諸島。

ここがアメリカ軍の手に落ちたら、
日本本土が直撃爆撃を
受けることとなります。

そこで、
マリアナ諸島サイパン島には
日本陸戦隊・兵站部隊1万5000人が
送り込まれました。

1944年6月11日、
1000機以上の
アメリカ軍艦載機がサイパンを襲撃。

13日には、
アメリカ海軍上陸船団が
砲弾を浴びせます。

これにより日本軍の陣地は半減し、
基地の航空機は
すべて破壊されてしまいます。

6月15日、
アメリカ軍がサイパン島上陸。

圧倒的な戦力差の前に、
日本軍には為す術がありませんでした。

7月9日、
アメリカ軍上陸部隊指揮官
リッチモンド・ターナー中将は、
サイパン島占領を宣言しました。

戦闘が激化し、
サイパン島に派遣されていた大場栄は、
9月30日に戦死認定を受けます。

しかし大場栄は生きていました。

150人の兵士と、
200人の民間人とともに、
島に潜伏していたのです。

大場たちはアメリカ軍が来る前に、
食料と武器弾薬を
洞窟に隠していました。

そして、大場はここで
徹底抗戦を決意します。

大場はゲリラ戦を展開し、
4万5000人のアメリカ兵を
翻弄しはじめます。

これに気づいたアメリカ軍は
掃討作戦を実施。

しかし、
大場たちは攻撃をかわし、
抵抗を続けます。

大場の巧みなゲリラ戦をアメリカ軍は、

「フォックス」

と呼ぶようになりました。

1945年8月15日。

日本が降伏します。

しかし、これを知らない大場は
抵抗を続けます。

9月になると
アメリカ軍は飛行機からビラをまき、
投降を呼びかけますが、
罠だと思った大場は戦闘を続けます。

1945年12月1日、
上官だった天羽馬八少将から
降伏命令を受け取り、
大場たちは47名は
ようやくアメリカ軍に投降します。

投降の際、
大場たちは日章旗を掲げ、
軍歌『歩兵の本領』を歌いながら行進。

万朶(ばんだ)の桜か襟の色
花は吉野に嵐吹く
大和男子と生まれなば
散兵綫(さんぺいせん)の花と散れ

尺余の銃は武器ならず
寸余の剣何かせん
知らずやここに二千年
鍛えきたえし大和魂

軍旗まもる武士は
すべてその数二十万
八十餘ヶ所に屯(たむろ)して
武装は解かじ夢にだも

千里東西波越えて
我に仇なす国あらば
港を出でん輸送船
暫し守れや海の人

敵地に一歩我踏めば
軍の主兵はここにあり
最後の決は我が任務
騎兵砲兵協同(ちから)せよ

アルプス山を踏破せし
歴史は古く雪白し
奉天戦の活動は
日本歩兵の華と知れ

携帯口糧あるならば
遠く離れて三日四日
曠野千里にわたるとも
散兵戦に秩序あり

退くことは我知らず
見よや歩兵の操典を
歩兵の戦は射撃にて
敵をひるませ其隙に

前進前進又前進
肉弾とどく處まで
我が一軍の勝敗は
突撃最後の数分時

歩兵の本領茲にあり
ああ勇ましの我兵科
會心の友よさらばいざ
共に励まん我任務

この堂々とした姿は
アメリカ軍たちを感動させ、
後に元米海兵隊隊員の
ドン・ジョーンズは、
大場の活躍を
『OBA THE LAST SAMURAI』
という小説いまとめました。

1967年~1979年、
大場栄は愛知県蒲郡市会議員を務め

1992年に亡くなりました。