もちろん、今すぐこれらの国々を敵に
すると世界を敵にするようなものに
なりますから現実的にはできませんが
少なくともシナ・朝鮮の捏造には
屈してはいけません。

また、チベットやウイグルや
モンゴルはシナの民族浄化や大虐殺、
ベトナムは韓国のライタイハンこそ
記憶遺産にすべきです。

最後に南京での歴史の真実を
記しておきます。

当時、南京戦の軍司令官は
松井石根大将です。

松井大将が南京戦に向かう途中で
このようなことがありました。

日本軍の戦死体は埋葬されて、
戦場清掃を済ませていた時、
それを見た松井大将は
二人の参謀を呼びつけて

「日本兵の死体だけ片付けて、
 支那兵の戦死体を放置したままに
 するとは何事か」と叱りつけて、
敵であっても同じく扱うように
指示しました。

また、南京戦の後、
松井大将が上海に戻った時、小学生の
書いた慰問書を手にして先生が
内地(日本)からやって来ました。

内地では南京陥落に小学生も日の丸を
振って喜んでいました。慰問文には
「憎い支那をやっつけてください」
書いてありました。

これを読んだ松井大将は
「このようなことを小学生に書かせるとは」
と、慰問文を持って来た先生を
叱りつけました。

昭和41年、松井大将の秘書だった
田中正明氏は岸首相と台湾に行った時、
このように語りました。

蒋介石は81歳。

私は蒋介石に敬礼してから
「私はかつて閣下にお目にかかった
 ことがございます」と申し上げた。

「いつか」と聞かれるので
「昭和11年3月、松井石根閣下に
 お伴して、南京で」と申し上げた。

松井大将の名を聞くや、
蒋介石の顔色が見る見る変わった。

ふるえ声で「松井閣下には、
申し訳なきことを致しました」
私の手を堅く握りしめて、
むせぶように言われ、
眼を赤くして涙ぐまれた。

私は驚いた。

一同も蒋介石の
この異様な態度に驚いた。

周知の通り南京戦の直後、
蒋介石は漢口にいて、
しきりに対日航戦の
声明文を発表したが、
虐殺事件などの一言も触れていない。

南京の何応欽軍司令官の「軍事報告書
の中にも虐殺は一行もない。

それを東京裁判は松井大将の責任で
20万余を虐殺したと判決して
絞首刑に処したのである。

あれほど支那を愛し、
孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の
思想を遵奉したばかりか、
留学生当時から蒋介石を庇護して、
何ら報いることもできず、ありもせぬ
「南京虐殺」の冤罪で刑死させた。

蒋介石は悔恨の情が、
一度に吹き上げたものと思われる。

蒋介石は私の手を2度、3度強く握って話さず、
眼を真っ赤にして顔を伏せた。

蒋介石は88歳でこの世で去るまで、
松井大将の冥福を祈ったと聞いている。