大東亜戦争で
シンガポールが陥落する直前、
タイのバンコクで岩畔機関という
特務機関が出来ました。

この機関の目的はインド義勇軍をつくって
インド独立工作をするのが主な任務でした。

ここに
小川三郎少佐が配属されまてきました。

大東亜戦争が進んで、
インドの志士チャンドラ・ボーズを
ドイツから迎えて
インド義勇軍の首領とし
小川中佐(中佐になる)は
その連絡に任じていました。

当時、
インパール作戦後のビルマの日本軍は
戦勢利あらず、
後退に後退を重ねていました。

サルウィン河畔に踏み留まっていた
チャンドラ・ボーズに対し
小川少佐は
「早く後方の国境山脈まで退られよ」
と言いました。

するとボースは

「約100名のインド義勇軍の婦人部隊を
 ラングーンに残していながら
 男の自分だけがどうして後退できるか」
と言いました。

小川少佐は

「わかった、私も日本人だ。
 日本帝国軍人だ。

 誓って私が責任を以て
 インド義勇軍婦人部隊を救出し、
 貴方の膝下に連れ帰るから
 安心して後退せられよ」

と言うなり方面軍の
後方担当の参謀のところに行き
「最小限4台のトラックを融通してくれ」
と頼みこみました。

参謀は
「1台もない」と断りました。

何とか工面してくれと迫ったが
「ない袖は触れぬ」と言う。

小川少佐は厳然として

「ない袖を振るのが参謀の真の役割だ。
 ある袖を振るのなら誰でもできる。

 自分は
 インドのボーズ首領に誓ったのだ。

 ラングーンに残された婦人部隊は
 日本人の面目にかけても
 断じて救出すると。

 今度の大戦はあるいは敗戦の破局を
 迎えるかもしれぬが、
 たとえどんなどん底に陥っても
 日本人は嘘をつかなかった。

 どんな逆境に立っても
 日本の軍人は最後まで信頼できる
 とのイメージを
 インドの人に残して死にたい。

 形の上の戦争ではたとえ敗れても
 心の上の戦争では敗れておらぬ証拠を
 世界の人々に示すべき絶好の機会だ
 4台のトラックは
 このために何とかしてくれ」

と熱情をこめて言い放ったのです。

黙々として
その言葉を聞いていた参謀は
何も言わず、
どこからか4台のトラックを
工面してきました。

小川少佐は喜んでこれを受け取ると
まっしぐらに包囲化の首都に駆けつけて
無事にインド義勇軍婦人部隊の
約80名を救出し、
ボース首領の手元に連れてきました。

退却の戦闘で最も困難とされるのは
「しんがり部隊」です。

その困難な「しんがり」
自ら買って出たのが小川少佐でした。

退却するインド義勇軍たちを
安全な地帯まで後退させるため
悪戦苦闘しながら、
もうこれで大丈夫と思われる
地点までたどり着いた時、
小川は突然、
今来た方向に逆行して
群がるイギリス軍に突入して行きました。