硫黄島の戦いは、
戦史に残る壮絶で凄惨を極めた戦いです。

1945年2月19日の米軍上陸から、
3月26日の玉砕まで繰り広げられました。

米軍の死傷者数が
日本軍のそれを上回った戦いです。

島にいた日本の守備隊は
陸軍が栗林忠道中将率いる1万3,586名、
海軍が市丸利之助中将率いる7,347名、
合計2万933名です。

米軍はそこに
11万の大軍を送りこんできました。

あらゆる兵力において
はるかに勝る米軍と激戦において、
市丸中将は、
最後の総員突撃を敢行する際して、
「ルーズベルトに与うる書」
を遺されています。

この「書」は、市丸中将の死後、

「死に臨んだ日本の一提督の
米国大統領宛の手紙」

と題されて、米国の各大手新聞で、
その全文が紹介されました。

また、戦後ベストセラーになった
ジョン・トーランドの

「昇る太陽-日本帝国滅亡史」
でも紹介されました。

当時米軍は、戦いの後、
日本兵の遺体から所持品を確かめていました。

市丸中将はそれを知って
この「書」をしたためられています。

市丸中将が最後の突撃攻撃を行って
散華されたのは、3月26日です。

その9日前の3月17日、
中将は、
地下20メートルの洞穴に、
動けるものを全員集めました。

そして副官である間瀬式次中佐が
一歩前に出て、
「ルーズベルト二与フル書」
を読み上げました。

朗読が済むと、
この書の和文の方を
通信将校の村上大尉が腹に巻きつけ、
ハワイ生まれの三上弘文兵曹が
英文に翻訳したものは、
赤田邦夫中佐(二十七航戦参謀)が
身に付けました。

そして市丸中将は栗林中将とともに、
軍服にある一切の肩章を外し、
ひとりの皇国臣民として、
最後の突撃を行い散華されています。

「ルーズベルトに与うる書」は、
米海兵隊員の手で
二人の遺体から発見されました。

従軍記者エメット・クロージャーは、
発見の経緯と手紙の本文を
4月4日、本国に向けて打電しました。

そして「書」は、
米国内の様々なメディアで紹介され、
全米で大絶賛されました。

「書」に書かれた理想は、
形を変えて米国の理想となりました。

この書は、
アメリカ海軍兵学校内アナポリス博物館に
今でも大切に保管されています。