昭和天皇は、
幼少の頃は迪宮(みちのみや)殿下
と言われておりました。

迪宮殿下が
学習院初等科に入学するにあたって
明治天皇は乃木大将を
学習院長に就任させました。

乃木大将は
明治の日本人がそうだったように
謹厳実直の人でした。

迪宮殿下は乃木大将のことを
“院長閣下”“院長閣下”と言って
尊敬されておりました。

ある日、乃木院長が

「どういうふうにして
初等科に通っているのですか」

と尋ねました。

「天気の良い時は
 歩いて通っているけれども、
 雨の時は馬車で通う」

とい答えされました。

すると乃木院長は

「雨の時でも、コートを着て、
 歩いて通うようにしなくちゃ
 いけない」

と強く言いました。

また、迪宮殿下はよく
相撲をとられるのを好まれたので、
ズボンの膝や靴下によく穴があき、
そのつど新しい物と
お取り換えされていました。

すると乃木大将は
このように言われました。

「着物に穴のあいているのを
 着ちゃいけないが、
 つぎのあたったのを着るのは
 ちっとも恥じゃない」

すると
迪宮殿下は学校から帰られると

「穴のあいているのに
 つぎをあててもらいたい」

とおっしゃりました。

早速つぎあてると、

「これでいいんだ」

と満足して頷かれました。

迪宮殿下が
熱海に避寒されていた時のことです。

ある雪の降る日に
乃木大将がやって来ました。

迪宮殿下はちょうど
火鉢にあたっておられました。

すると乃木大将は

「殿下、お寒いんでございますか。

 このようにお寒い時は
 火鉢にあたっているより、
 あの御運動場に行って
 駆け出していらっしゃったら
 いかがですか。

 御運動場を
 二、三回走ってお周りになったら
 暖かくなります」

と申し上げました。

迪宮殿下はその通りにしました。

月日が流れ、昭和28年、
昭和天皇の
外套の襟が破れていたのを、
女官長がそう申し上げると陛下は

「外に出るときは別だが、
 普段うちで行き来するときは、
 つぎをあてておけば良い」

とおっしゃりました。

昭和50年、
昭和天皇は訪米前に
アメリカのニュース週刊誌
『タイム』記者と会見され
このように語られました。

「私は多くの人々、
 とりわけ乃木将軍に
 深い影響を受けました。

 将軍は私が学習院に
 はじめて進学した時の
 院長でした」

と前置きされて、
雨の日に登校する時は馬車に寄らず、
コートを着て歩くように
教えられたことをお話されました。

乃木将軍は
明治天皇が崩御されたのを受けて
自決されました。

乃木将軍はそれに先立ち
迪宮殿下を訪れました。

その時、大正天皇が皇位につかれ、
迪宮殿下は皇太子となられていました。