未完成ではあったが、
航空本部技術部、
航空審査部を通じてずっと
陸軍戦闘機全般の開発に
携わった木村昇技術少佐は、

「本機には層流翼型が初めて
(陸軍機として)実用され、
高高度における安定及び
装備場の諸問題など、
極めて細かく行き届いた
名設計だった。」

と賞賛しており、
B-29を阻止できる
本格的な高高度戦闘機として
多大の期待をかけられていた。

だが、
「キ87」にせよ「キ94」にせよ、
B-29が頭上に来襲している時に
未だに開発途中であり、
高度一万メートルは
日本の航空技術にとって、
越すに越されぬ高い壁であった。

終戦に伴い長谷川龍雄は、
1946年にトヨタ自動車工業
(現在のトヨタ自動車)に入社。

航空機開発で得られたノウハウを
自動車開発に発揮した。

初代トヨエースの主査を皮切りに、
初代パブリカ、
トヨタスポーツ800、
初代カローラの主査を歴任した。

1967年に
取締役製品企画室副室長に就任、
その傍ら初代セリカ・カリーナの
開発主査を務める。

1972年に常務に就任。

1978年から1982年まで
専務取締役を経て退任。

2004年に
日本自動車殿堂入りを果たす。

2008年4月29日に老衰のため
神奈川県横浜市の病院にて逝去。
92歳(享年93)