昭和20(1945)年の8月15日の日を、
根本は北京の北西150キロほどにある
張家口(ちょうかこう)市で迎えた。

張家口は万里の長城のすぐ外側にあり、
そこから先は内モンゴルの地である。

根本はモンゴルの大部分を警備する
駐蒙軍の司令官であった。

ラジオから流れてきた昭和天皇の玉音は、
9年前の北海道での陸軍特別大演習で、
巡視中の陛下から

「将兵は皆元気か?」

と直接かけられたお声そのままだった。

玉音放送の後は、
根本がマイクに向かって、

「彊民(地元民)、邦人、及び
 我が部下等の生命は、
 私が身命を賭して守り抜く覚悟です」

と語りかけた。

玉音放送の直後だけに、
根本の声はモンゴル地区に散在していた
日本人居留民たちを安心させた。

放送の後、根本は全軍に命じた。

「理由の如何を問わず、
 陣地に侵入するソ連軍を
 断乎撃滅すべし。

 これに対する責任は、
 司令官たるこの根本が一切を負う」

本国からは武装解除命令が出ていたが、
ソ連軍の本質を見抜いていた根本中将は
それに従わなかった。

日本軍は武装解除すれば、
ソ連軍は邦人に対して略奪、
虐殺、強姦の限りを尽くすだろう。

6日前の8月9日から満州に侵入してきた
ソ連軍の蛮行は刻々と伝えられていた。

本国から武装解除命令を無視して
ソ連軍を戦うことは、
戦勝国から「戦争犯罪」とされるが、
根本中将はその責任は自分一人で
負えば良いと覚悟していた。

司令官の断固たる決意に、
駐蒙軍の将兵も闘志を燃やし、
攻め込んできたソ連軍を激戦を展開した。

8月15日、16日の
ソ連軍の攻撃は
特に激しかったが、
駐蒙軍の頑強な抵抗によって、
戦車15台の残骸を残して
退却していった。

駐蒙軍の目的はただ一つ、
侵入してくるソ連軍と戦って、
時間を稼いでいる間に
4万人の居留民が安全に
引き上げる時間を作ることだった。

根本率いる駐蒙軍が
ソ連軍と激しく戦っている間に、
4万人の居留民は、
こうして無事に引き揚げる事が
できたのだった。

8月21日の夕刻から夜にもかけて、
駐蒙軍にも密かに撤退命令が下された。

将兵は、歩いて北京に向かった。

その後の、根本は北京に留まり、
北支那方面の最高責任者として
在留邦人及び35万将兵の指揮をとった。

その年1945(昭和20)年12月18日、
根本は中華民国主席・蒋介石の
求めに応じて面会した。

蒋介石が北京に乗り込んできて、
根本中将に会いたいと使者をよこした時、
根本中将には蒋介石に対して、
言葉では尽くせない感謝の気持ちがあった。