日本の教科書では、
日本がアジア諸国に対して
悪いことばかりしてきたと教え、
日本軍は立派であったと
語り継いでいる
アジア諸国との友好を
無にするような教え方を
しているのです。

例えば「日本の占領政策は、
欧米にかわる植民地支配に
ほかならなかった」(清水書院)

しかし、「ビルマ、インドネシア、
フィリピンなどの
東アジア諸国の植民地支配は
一掃され、
次々と独立し得たのは、
日本が育んだ自由への
炎によるものであることを
特に記さねばならない」
(インド元国民軍大佐ハビブル・
ラーマン)と述べています。

「日本語教育などの
 政策も進められたので、
 これらの地域でも
 抗日運動がおこりました」
(帝国書院)

「私たちマレー半島を
 進撃して行く日本軍に
 歓呼の声をあげました。

 敗れて逃げてゆく英軍を
 見た時に今まで感じたことのない
 興奮を覚えました。

 しかもマレーシアを占領した
 日本軍は日本の植民地としないで、
 将来のそれぞれの国の独立と
 発展のために、
 民族の国語を普及させ、
 青少年の教育を
 行ってくれたのです」
(マレーシア元上院議員ラジャー・
ダト・ノンチック)

マレーシアでの抗日運動を
主導していたのは
敵国支那の華僑でした。

マレーシア王子は
国民に日本軍とともに
英軍と戦えと言ったのです。

教科書に書いてあることと、
当時を知るアジアの方々の声が
全く違うのです。

マレーシア独立の英雄
ラジャー・ダト・ノンチックが
作詞した歌『日本人よありがとう』
(作詞 ラジャー・ダト・ノンチック
作曲 田中舘)の作詞には
このように書いてあります。


みずからひもじい時に
配給のわずかなパンを
持ってきてくれた乙女ら

ああ日本は美しかった
真っ白き富士の気高さと
歌う黒髮瞳清らか


空襲のサイレン鳴れば
真っ先に僕らを壕に
案内してくれた若者
日本人はひたむきだった

アジアのために戦いに
力尽くして彼等は散った


戦いに敗れた後の
生きるすべあてない街で
励ましてくれた友らよ
日本人は親切だった

独立のため生き抜けと
握り合う手に涙こぼれた


あの頃は苦しかったが
アジアには平和が訪れ
民はみな祖国を持った

ああ日本の若人たちよ
こころを継いで暖かく
共に栄える明日に進もう

ああ日本の若き友らよ
こころとこころ結び合い
豊かなアジア共に築こう