この戦闘は後に
アメリカ陸軍の十大戦闘に
数えられるようになりました。

テキサス大隊救出作戦後、
ダールキスト少将が戦闘団を閲兵した際、
通常は200人程度で構成される
中隊編成なのですが、
K中隊には8名しかいないのを見とがめ、
少将が
「部隊全員を整列させろと言ったはずだ」
と不機嫌に言ったのに対し、
連隊長代理のミラー中佐が
「目の前に並ぶ兵が全員です。
 残りは戦死か入院です」
と答えたという話が残っています。

その報告を聞いたダールキスト少将は
ショックの余り
スピーチさえ出来なかったと言います。

これは第36師団編入時には
約2,800名いた兵員が
1,400名ほどに減少していたためでした。

再編成を行った第442連隊戦闘団は
イタリアに移動し、
そこで終戦を迎えました。

第442連隊が
強制収容所の被収容者を含む
日系アメリカ人のみによって構成され、
ヨーロッパ戦線で
大戦時のアメリカ陸軍部隊として
最高の殊勲を上げたことに対して、
1946年にトルーマン大統領は、

「諸君は敵のみならず
 偏見とも戦い勝利した。

(You fought not only the enemy,
 you fought prejudice
 =and you won.)」

と讃えています。

第442連隊戦闘団の
終戦までの死傷率314%(9486人)

アメリカ陸軍の中でも
もっとも多くの殊勲授与部隊となり
およそ18,000近くの勲章や
賞状を受けたと言います。

その中には議会の承認を得る
最高位の名誉勲章もあります。

この他にも
名誉戦傷(Purple Heart)勲章を
多く受けたことから

”名誉戦傷戦闘団”

とも言われることとなりました。

2011年11月
オバマ大統領と合衆国議会は
テキサス大隊救出作戦から
65周年を祝うとともに、
その健闘を称え
第442連隊戦闘団に対して
議会名誉黄金勲章を授与しました。

この勲章授与式時、
統合参謀本部議長であるマレンは
以下のようにスピーチしました。

「彼ら日系米国人兵士は、
 その家族を米国により
 収容所送りにされながら、
 愛国心を示し、
 証明しようとしたのである」

現在のアメリカ陸軍では
442連隊戦闘団の歴史を学ぶ授業は
必須課程となっています。