日本人の米国への移民は、
明治時代の中頃より始まりました。

身一つで苦労して荒れた土地を開墾し、
自らの財産を築き上げ
米国籍を取得して生活していました。

しかし、戦争が始まると
日系人の財産は没収され、
収容所へ入るよう命じられました。

日系人は
米国への忠誠を示す必要がありました。

日系二世たちは、
次々と米軍へ志願して入隊しました。

日系二世たちが
勇敢に戦った大きな理由は、
この戦いによって米国人になりきると
米国における日系人の立場を守ることでした。

「今ここにいるのは
 これまで何もしてこなかったからだ。

 今がチャンスなんだ。

 ここで志願して
 自分たちを証明しないと
 日系人の未来はないし、
 それは僕たちのせいになる。

 生きて帰って来れないかもしれないが、
 それでも価値があるんだ」

(元442連隊のケン・アクネさん)

第442連隊戦闘団は
1944年10月より
フランス戦線で戦いを繰り広げます。

この戦いは最中テキサス州兵大隊が孤立
ドイツ軍に包囲される事態が発生します。

幾度にわたる連隊の救出作戦も失敗し
「失われた大隊」と呼ばれていた中、
10月より戦いに投入され続け、
疲弊している第442連隊戦闘団に
大統領の直接命令が下され、
大隊救出のために動くことになります。

参加したダニエル・イノウエ
(のち上院議員)が
後に語った言葉が残っています。

「いわば捨て石でしょう。
 しかし、私たちはそれを歓迎したのです。

 なぜなら、
 それこそ(日系人の)価値と
 アメリカへの忠誠を証明する
 チャンスでしたから」

孤立したテキサス大隊を救うため
日系人兵士たちは

「バンザイ!」

(日本軍が行ったような
自殺的突撃ではなく、
あくまで白兵突撃の鬨の声)

と叫びながら突撃します。

10月30日、
ついにテキサス大隊を
救出することに成功しました。

しかし、
テキサス大隊の211名を
救出するために、
第442連隊戦闘団の216名が戦死し、
600名以上が手足を失う等の
重傷を負いました。

救出直後、
442部隊とテキサス大隊は
抱き合って喜びましたが、
大隊のバーンズ少佐が軽い気持ちで

「ジャップ部隊なのか」
と言ったため、
第442連隊の少尉が

「俺たちはアメリカ陸軍442部隊だ。
 言い直せ!」

と激怒して掴み掛かり、
少佐は謝罪して敬礼したという
逸話が残されています。