靖国を守ったドイツ人おばさん

昭和21年11月、
靖国神社に参拝した
一人のドイツ人夫人婦人がおりました。

このドイツ婦人は、
戦争に敗れたとはいえ
日本のために命を捧げた方々が
祀られている
靖国神社の荒廃ぶりに驚き、
胸を締めつけられる
思いがしたのです。

「日本に来て18年。

 靖国神社に詣でた時は、
 いつも掃き清められた境内が・・・」

彼女は今では知る人も少ないが、
戦後は「靖国おばあさん」
と呼ばれた阪明子
(メイ・サカ・フォン・ハウエル)
さんです。

メイさんは、この日から16年間、
雨の日も風の日も
靖国神社の清掃を
一日も欠かさずに
ご奉仕を続けました。

しかも早朝の誰もいない時に
やられていたのです。

清掃時の格好はいつも
日本の兵隊服と兵隊靴でした。

メイさんはなぜ
靖国神社を清掃したのか。

いつも聞かれると
「ドイツ人とともに戦った
 日本の御柱のために」
と答えました。

当然このことは神社にも知られ、
神官達にメイさんの
多くの逸話が残っています。

「若い神職がだらしなくしていると
叱りつけていた」
「清めの大手水舎で
犬に水を飲ませようとした
進駐軍のアメリカ人を
叱り飛ばした・・」

メイさんは日本人以上に
崇敬心を持って靖国神社を
守ろうとしていたのです。

メイさんは昭和3年に
新聞記者として来日して、
昭和5年に仙台出身の
阪久三さんと結婚して
日本国籍となりました。

しかし昭和16年に
夫・久三さんが急逝し、
ドイツ語の家庭教師をしながら
生計を立てていましたが、
昭和20年に
空襲で自宅を失いました。

その後、吉祥寺駅前に
小料理の露店を開業し、
その収入はすべて
傷痍軍人の慰問と
更生に使われました。

靖国神社も身寄りもなく
経済的に豊かでない
メイさんのことは気にかけており、
昭和36年のドイツ帰国には
靖国神社が呼びかけて
全国から浄財を募り、
旅費と帰国後の生活の費用まで
配慮されました。

しかし、メイさんは
8ヶ月後に日本に戻って来て、
昭和44年、
77歳の生涯をとじたのです。

メイさんは生前、
このようなことを
話されていたと言います。

「日本は負けました。

 しかし日本人は敗けていません。

 さくらはさくらの木に咲きます。

 私は日本が本当の姿になることを
 祈っています」