子供の頃、毎週末、
日本人捕虜収容所に
連れて行かれた。

母親が私に言った台詞は
毎週末同じだった。

『せがれ、ご覧、
 あの日本人の兵隊さんを。

 ロシアの兵隊が
 見ていなくても働く。

 人が見ていなくても働く。

 お前も大きくなったら、
 必ず人が見なくても
 働くような人間になれ』

母親の言いつけを守って、
おかげで
俺は大統領になれた。

1997年、日本の閣僚として
ウズベキスタンを訪れた
麻生太郎議員が、
当時のカリモフ大統領から
聞いた話を
2013年5月13日、
衆議院予算委員会で
中山恭子議員の質疑に対して
答弁した内容の一部だ。

大東亜戦争の末期、
外地にいた65万人もの日本人が
ソ連に強制連行された。

最もよく知られるのは、
シベリアでの悲惨な強制労働だ。

だが、中央アジアにまで
連行された事は、
あまり話題にはならないため、
知られていない。

ウズベキスタンに連行されたのは、
麻生議員の答弁にあるように、
2万5千人だ。

その拘留者の労働は、
道路、工場、運河、炭鉱、
発電所、学校などの建設と、
多岐にわたっている。

社会インフラの整備である。

人々が働かなくても、
町のインフラが次々と整い、
道路ができ、鉄道がひかれ、
建物ができる。

戦後、
ソ連が理想郷とされたのは、
この日本人を主力とした
抑留者たちが無給で
ソ連の為に働かされたからに
他ならない。

彼らが命を削って働かされたから、
ロシア人はほとんど働かずに
国から給料を貰い
豊かに暮らす事が出来た。

過酷な労働、
慣れない気候、
十分ではない食事、
危険な労働などの結果、
抑留者のうち、813人もの方々が
ウズベキスタンで
命を落としている。

ウズベキスタンの首都・
タシケント市に建つ
「ナボイ劇場」

美しいレンガ造りの建物で、
館内には繊細な彫刻も
施されている。

1966年4月26日、
中央アジアのタシケント市が
直下型の大地震に襲われた。

ソーヤは「みんな外に出て!」
子供達に向かって叫んだ。

子供らの手を掴んで
外に飛び出しながら、
「近くのナボイ劇場の建っている
 公園に行って!
 噴水の周りに集まりましょう」
と叫んだ。

あちこちの家が崩れている。

ソーヤが
ナボイ公園に逃げることを
咄嗟に思いついたのは、
20年前に、まだ少女だった頃、
ナボイ劇場建設に従事していた
日本人抑留者たちから、

「大きな地震が起こったら、
 家が倒れて
 逃げられなくなるので、
 広場などに避難した方が良い」

と教わったことを
思い出したからだ。

と、同時に、あの真面目で
仕事熱心だった
日本人抑留者たちの建てた
ナボイ劇場も
壊れてしまったのだろうか、
と気になった。