四方(よも)の海 みな同胞(はらから)と 思う世に
などの波風の 立ちさわぐらん

意味としては
「四方の海にある国々は皆、
 兄弟姉妹だと思うのに、
 なぜ騒ぎが起こるのであろう」
になります。

これは欧米列強のアジアを侵略し、
ロシアが日本を虎視眈々と狙っている時期、
ちょうど日露戦争開戦直後に明治天皇が
お詠みになられた御製です。

開戦決定の御前会議の後で

「今回の戦は朕が志にあらず、しかれども事ここに至る、
 これはどうすることもできない。

 事、万が一挫折したならば、どうして祖宗(先祖)に謝し
 臣民(国民)に接すればよいだろう」

と涙を流したそうです(明治天皇紀)。

明治天皇は元来戦争は好まず、
日清戦争時にも
「朕の戦争にあらず、大臣の戦争なり」
と不快感を表明しています。

時代は下り、昭和16年9月6日の御前会議。

この会議で期限を設けて英米との戦争に
踏み切る決定がなされます(帝国国策遂行要領)。

御前会議では、天皇陛下は発言する事が出来ず、
枢密院議長を通して訊く慣わしでした。

軍部の作成した要領に対し、
原嘉道枢密院議長から質問がなされます。

 

 

原は「外交交渉が主であるのか、
戦争準備完整が主であるのか伺いたい。

この要領案では戦争が主で、外交が従のように見えるが
本当は逆ではないのか」と発言しました。

その後、ここでは発言しないはずの
昭和天皇が異例の行動に出ます。

それが、この「四方の海」の御製を
詠む事でした。

二度詠んだそうです。

そして「私は故明治大帝の平和愛好の御精神を
紹述(先人の偉業に従う)しようと努めていると発言したのです。

専制君主ではなく立憲君主として、
政府の決定に従わなければならない昭和天皇は、
ここで精一杯の抵抗を示したのです。

この御製には、明治天皇、昭和天皇、
更に歴代の天皇の願いと祈りが凝縮されている。

そのように受け取れます。

この御製が引用された背景ですが、
更に詳しい事を言うと、
1941(昭和16)年4月以降、
日本はアメリカとの戦争を避けるために
通商問題などについて交渉を続けたんですが、
交渉の甲斐なく、事態は次第に悪化してきました。

9月の御前会議で「開戦やむなし」との決定がされたんですが、
その時に昭和天皇が「四方の海」ろ引用されて、
暗に反対の御意向を示されたんです。

これに東條英機は涙を流し、
外交交渉の余地あるうちは
断じて戦争に突入してはならないとして、
交渉は更に続けられて、11月に「甲案」「乙案」と言う
ギリギリの妥協案をアメリカに示しました。