GHQの占領下、
敗戦に打ちひしがれ、
食糧難に苦しむ国民を励ますべく
全国を御巡幸された昭和天皇。

これは昭和24年5月陛下が
佐賀を御巡幸された時の実話です。

佐賀県に因通寺というお寺があります。

この寺には戦争罹災児救護教養の、
洗心療が設置されていました。

洗心療には44名の引き揚げ孤児と、
戦災孤児がいます。

この寺の住職
調寛雅氏(しらべかんが)と
昭和天皇はあるご縁がありました。

そのご縁もあって、九州行幸には
「行くなら、調の寺に行きたい」との
昭和天皇のご意向から、
因通寺のご訪問が決定。

この地域は共産主義が
たくさんいる地域で、
特に敗戦後ですので暴動が
起きる可能性がかなり高いです。

町では、陛下の行幸を歓迎する人と
反対する人で対立が起きる始末。

歓迎するのにも命がけの雰囲気で、
反対派から何をされるか分からない。

それは、お迎えする町長や
知事でさえもです。

そのような緊迫した状況の中、
いよいよ因通寺に昭和天皇の
御料車が向かわれます。

いろんな想いの群衆から、
「天皇陛下万歳、天皇陛下万歳」
声が自然と上がります。

それは、地響きのようでした。
陛下は、群衆に帽子を振って応えられます。

そして陛下は門前から洗心療に入られます。

子供達は、それぞれの
部屋でお待ちしていました。

孤児たちには、あらかじめ
陛下がお越しになったら、
部屋できちんと挨拶するように
申し向けてありました。

ところが、一部屋ごとに足を停められる陛下に、
子供達は誰一人、ちゃんと挨拶をしようとしない。

昨日まで、あれほど厳しく
挨拶の仕方を教えておいたのに、
みな、呆然と黙って立っているのです。

すると陛下が子供達に
御会釈をなさるのです。

頭をグッとおさげになり、
腰をかがめて挨拶され、
満面の笑みをたたえていらっしゃる。

それはまるで、陛下が子供達を
御自らお慰めされている
ように見受けられたそうです。

そして陛下はそれぞれの部屋で
丁寧に足を止められます。

「どこから」

「満州から帰りました」
「北朝鮮から帰りました」

「ああ、そう」
にこやかにお応えになる。

そして、
「おいくつ」

「七つです」
「五つです」
と子供達が答える。

すると陛下は
子供達ひとりひとりに
まるで我が子に語りかけるように、
お顔をお近づけになり、

「立派にね。元気にね」
とお声をかけられます。

陛下が次の部屋に
お移りになると、
「さようなら、さようなら」
とごく自然に声が出るのです。

すると子供達の声を
聞いた陛下が、
次の部屋の前から、
いまさようならと発した
子供のいる部屋まで
お戻りになられ、

その子に
「さようならね、さようならね」
と親しさをいっぱいにたたえた
お顔でご挨拶なされるのです。