戦後日本は何故奇跡の
復興を可能にしたのか?

それは昭和天皇の足掛け8年半、
約3万3000キロに及ぶ
全国への御巡幸により、
国民が一つにまとまった事から
始まりました。

今回は佐賀を御巡幸された
昭和天皇とある青年たちのお話です。

昭和天皇が起こした奇跡!
青年を洗脳から覚醒させる!
そのお言葉に感動必至

この日、陛下はたっての希望で、
佐賀県三養基群にある
因通寺に御巡幸されました。

このお寺には洗心療という
引き揚げ孤児の寮がありました。

この寺の住職が陛下の知人であったこと。

また、戦災孤児や引き揚げ者の境遇を
気にかけておられた陛下はここを佐賀県での
最初の御巡幸先にされたのです。

陛下は洗心療のご訪問を
終え外に出られると、
長い阪の下でたくさんの
人々に出迎えられます。

陛下は遺族などと一人一人
お話になり進まれます。

昭和天皇は最前列に座っていた
老婆に声をかけられました。

「どなたか戦死をされたのか」

「息子でございます。
たった一人の
息子でございました」

声を詰まらせながら
返事をする老婆に

「どこで戦士をされたの?」

「ビルマでございます。

 激しい戦いだったそうですが、 
 息子は最後に天皇陛下万歳と
 言って戦士をしたそうです。

 ・・・天皇陛下様、息子の命は
 あなた様に差し上げております。

 息子の命のためにも、
 天皇陛下様
 長生きをしてください」

老婆は泣き伏してしまいました。

じっと耳を傾けていた陛下は、
流れる涙をそのままに、
老婆をむつめられていました。

その中に若い青年と思われる数十人が
一団となり陛下をお待ちしていました。

シベリア抑留の時に徹底的に洗脳され、
共産主義国家樹立の為に
共産党に入党した者達であります。

すごい形相でむしろ旗を
立てて待ち構えていたのです。

今回の行幸で陛下に暴力を
持ってして戦争責任を認めさせ、
それを革命の起爆剤にしようと
待ち構えていたのでした。

恐れていた事が起こる気配です。

周りの者が陛下をお守りしなければと
駆けつける前に陛下は、
その者達とお話になられます。

陛下はその者達に
深々と頭を下げられます。

「長い間、遠い外国で色々苦労して
 深く苦しんで大変であっただろうと思う時
 私の胸は痛むだけでなくこのような戦争が
 あったことに対し深く苦しみを共にする者であります」

「皆さんは、外国において色々と
 築き上げたものを全部失ってしまったことであるが、
 日本という国がある限り再び戦争のない平和な国として
 新しい方向に進むことを希望しています」

 皆さんと共に手を携えて、
 新しい道を築き上げたいと思います」

非常に長いお言葉を述べられます。

陛下の表情は慈愛に溢れるものでした。