死の前日に、残る死刑囚たちに
世話になったお礼の手紙を書き、
「私の希望として検事に申し出たこと」
として、次のように書いています。

「親愛なる皆様、先ほどは
御親切な御激励の辞をいただき
厚く感謝いたします。

今までの遺書の清書をしておりましたので
御返事が遅れて申し訳ありません。

我々は兄弟以上の間柄でありました。

一本の煙草も分けて吸い、
助け合い激励し合ってきましたが、
いよいよ私達二人先発することになり、
今までの御厚情に対し深く感謝いたします。

私の最後の希望としてもし四人の中一人
でも無事ならば、
私達の最後の状況をいつの日か同胞に
知らせて頂きたい。

私の最後の申し出として、

  1. 目隠しをせぬ事
  2. 手を縛らぬ事
  3. 国歌奉唱、陛下の万歳三唱
  4. 古武士の髪に香をたき込んだ
    のに習い香水一ビン
    (之は死体を処理するものに対する
    私個人の心遣いであります)
  5. 遺書遺髪の送付
    以上全部承認

 

当日の私の決心は、
自動車から降りたら裁判長に並びに
立会者に微笑みとともに挙手の礼をし、
最後の遺留品として眼鏡を渡し、
それから日本の方を向いて脱帽最敬礼、
国歌奉唱、
両陛下万歳三唱、
合唱しつつ、海ゆかばの上の句を
唱えつつ下の句を奉唱し
この世をば銃声とともに、
はい さようなら。

という順序に行くつもりで、
私のような凡人に、
死の直前に歌が唄えるかどうか、
これが最後の難問題だと思います。

皆様に対し遺留品として糸、針、
古新聞、本、マッチ
その他手拭い、歯ブラシ、
衣類なんでも申し出に応じます」

前田大尉は一緒に処刑される
穴井秀夫兵長に対しても
細かな注意を与えています。

「穴井君、左のポケットの上に
白布で丸く縫い付けましたか」

「はい、今日の明るい中につけておきました」

「白い丸がちょうど心臓の上になるのだ。

明日は早いから目標をつけて
置かぬと弾が当たりそこなったら
永く苦しむだけだからね。

それから発つ時毛布を
忘れないように持って行きましょう。

死んだら毛布に包んでもらうのです。

それでないと砂や石が
直接顔に当たって、
ちょっと考えると嫌な気がするからね。

死んでからどうでもよいようなものも、
せっかく毛布があるんだから
忘れずに持って行きましょう」

そして、昭和23年9月9日、
午前5時45分。

翌朝早く、二人は書き置いた通り
の手順と態度で、
銃殺されました。

大きな声で歌も歌い、
二人で何な言葉を交わして笑い声を
あげた直後、
銃撃音が響いたという。

前田利貴大尉31歳、
穴井秀夫兵長30歳でした。

今まで虐待してきた兵士たちは、
笑って死んで行く日本人に
解けない顔をしていました。

翌日も水浴に行く兵隊や
その家族たちは、
いつもと違って日本人を
じっと見ていました。

日本人たちは二人の立派な最後に、
日本人として誇りと肩身の広い思いがして
久々に晴々しい気持ちになりました。

「死刑は上等か、死刑は怖くないのか」
と剣を突きつけ、
日本人を揶揄し、馬鹿にし、
軽蔑していた兵隊たちが、
こうしたことを言わなくなり、
また今まで意地の悪かった
兵隊たちの態度も全く変わりました。