大東亜戦争(太平洋戦争)の
集結からわずか5年後、
昭和25年(1950年)9月のことです。

まだ戦争の傷跡が残る日本に、
一人のアメリカ人がやって来ました。

アメリカ海軍の提督、
アーレイ・バークです。

バークは駆逐艦乗りです。

巨大な戦艦を追い回す
駆逐艦乗りには
日米とも猛将と
言われた人が多くいました。

バークもその一人です。

バークは
太平洋戦争の中でも、
日米合わせて
9万人以上もの
犠牲者を出した
激戦地
「ソロモン海戦」
で日本軍の脅威となった男です。

そのバークが
敗戦国日本を支配する
占領軍の海軍副長として、
アメリカから派遣されたのです。

それは、
「朝鮮戦争」
勃発の直後でした。

バークが東京の
帝国ホテルにチェックイン
した時のことです。

「バーク様、
お荷物をお持ちいたします」

「やめてくれ、
最低限のこと以外は、
私に関わるな!」

実は、
バークは筋金入りの
日本人嫌いでした。

親友を日本軍の
真珠湾攻撃によって失い、
血みどろの戦いで
多くの仲間や部下を
失っていたからです。

戦争中、
バークの心には、
的である日本人への
激しい憎悪が燃えていました。

「日本人を一人でも
多く殺すことなら重要だ。

日本人を殺さないことなら
それは重要ではない」

という訓令を出したほどでした。

また、
公の場で日本人を
「ジャップ」
「イエローモンキー」
と差別的に呼び、
露骨に日本人を蔑みました。

従って、どれだけ日本人の
従業員が話しかけても
無視しました。

「腹立たしい限りだ!
黄色い猿どもめ!」

日本に来てから
1ヶ月ほどしたある日のこと。

「なんて殺風景な部屋なんだ」

ベッドと鏡台と
椅子だけの部屋を見て、
せめてもの慰みにと、
バークは一輪の花を
買って来て
コップに挿しました。

この後、
この花が意外な展開を
辿ることになります。

翌日、
バークが夜勤から
戻ってみると、
コップに挿した花が、
花瓶に移されていたのです。

バークはフロントに行き、
苦情を言いました。

「なぜ、余計なことをした。

誰が花を花瓶に移せといった?」

「恐れ入りますが、
ホテルではそのような指示は
出しておりません」

「何だって?」

この時は誰が花瓶に
移したのか分からなかったのです。

さらに数日後・・・。

何と花瓶には
昨日まではなかった
新しい花が
活けられていました。

「一体誰がこんなことを・・・」

花はその後も増え続け、
部屋を華やかに
していきました。

バークは再び
フロントへ行きました。

「私の部屋に
花を飾っているのが誰なのか、
探してくれ」

調べた結果、
花を飾っていた人物が
わかりました。