『ゴールデン・ブック』には、
ユダヤ民族に貢献した
外国人の名が記されています。

第1巻目表紙に
エルサレムに注ぐ
太陽の光が描かれ、
黄金色なので、
そう名付けられています。

 

樋口季一郎と安江仙弘は、
共に6巻目の
ユダヤ暦5701年
「タムズ月19日
(西暦1941年7月14日)」に、
記録されている。

ですが、彼らとともに
『ゴールデン・ブック』に
記載されるべきだった人物は
東条英機であった事を、
知る人は少ないでしょう。

1930年代末に、
二万人ものユダヤ人難民が
ナチスの迫害を逃れ、
シベリア鉄道で
満州国境へやってきた。

当時、関東軍
ハルビン特務機関長だった
樋口少将が、
新京に司令部を置く
関東軍参謀長に、
ユダヤ人難民の
入国の許可を求めた。

当時の参謀長が、
東条英機中将だった。

入国を許可しなければ、
ソ連がドイツに
送り返すところだった。

東條は

「民族協和と八紘一宇の精神」

に従って、
二万人のユダヤ人の
入国に許可を与えた。

ドイツ外務省が
日本政府に対して
強硬な抗議を行ったが、
東條は

「当然な人道上の配慮」

だと一蹴。

もし、東條が樋口に
許可を与えていなかったとすれば
ユダヤ人難民が
救われることはなかった。

ユダヤ人を救った
最高責任者として、
登場の名が樋口と安江とともに、
『ゴールデン・ブック』
に刻まれるべきだった。

しかし、ハルビンの
ユダヤ人社会のリーダーが、
東條の役割を知らなかったので、
載ることがなかった。

東條は東京裁判で
「A級戦犯」として、
処刑された。

ヒトラーと
同列であるかのようにして、
いわれなき不当な扱いを受けた。

杉原千畝は
6000人のユダヤ人にビザを発給し、
「日本のシンドラー」
という評価を国際的に得ている。

だがシンドラーが
ユダヤ人を救ったのは、
金目的だった。

ユダヤ人たちがいなくなると
工場を閉鎖しなければ
いけなくなるから、という
経営者目線での
損得勘定からスタートした。

シンドラーのユダヤ人救出は、
それぐらい、ささいで
利己的な始まりだったのだ。

シンドラーとは全く異なる、
二万人のユダヤ人の命を、
人道を理由として救った
東條の功績は、
日本人にもっと広く
知られるべきである。

(ヘンリー・ストークス
『英国人記者が見た
連合国軍連勝史観の虚妄』祥伝社)