不幸すぎる男
鈴木梅太郎。

彼は
世界的な発見をしながらも
当時の日本の医学界から
散々叩かれ
ノーベル賞の受賞を
逃した人物でした。

1874年4月7日、
静岡県の榛原郡
(現在の牧之原市)で
農家の次男として生まれた彼は
14歳で単身、東京に上京。

現在の東京大学である
「帝国大学」
農芸化学科を卒業します。

卒業式では全生徒を代表して
答辞を朗読したと言いますから、
学歴はトップレベルといっても
過言ではないでしょう。

その後大学院に入り、
ドイツへ留学。

帰国後は
盛岡高等農林学校や
東京帝国大学(東大)の
教授に就任します。

研究に明け暮れる最中、
彼はある成分を発見します。

当時の日本では、
脚気という病が蔓延。

特に若い男性を中心に
発症していたため、
国としても
対策を取らなければならない
状態でした。

しかし、
当時の日本の医学界レベルでは
脚気の原因が分からず、
「伝染病説」
が主流の考えでした。

しかし、
脚気にかかった鳩に
米糖(コメヌカ)を与えると、
病状が改善される事を
突き止めた鈴木氏。

そして米糠から
脚気に有効な成分の抽出に
成功したのです。

米糠から抽出された
この成分は
イネの学名oryzaから
『オリザニン』
と名付けられました。

彼は1910年、
東京化学会で論文を発表。

ニワトリとハトを
白米で飼育すると
脚気様の病状が出る事。

糠と麦と玄米を与えると、
脚気にはならなかった事。

さらに快復した事。

白米はいろんな成分が
欠乏していると述べました。

さらに翌年には
米糠の有効成分について報告。

『ヒトと動物の生存に不可欠な
未知の栄養素である』

という事を
はっきりと提示しました。

しかしこの発表は
医学界からは
無視されてしまいます。

当時の日本医学会は

「脚気は伝染病である」

と信じられており、
森鴎外をはじめ
東大の医学部出身者らは

「百姓風情が
なにを言ってんるんだ」

「そんな成分は
馬の尿にも入っている」

「馬の尿を飲めば
脚気が治るのか?」

と、彼の説を冷笑。

脚気菌が発見された
という誤報も重なり、

「神聖な医学の世界に
百姓が口を出すな」

と冷遇を受けたそうです。

さらに彼の悲劇は続きます。

当時、医学の論文は
ドイツ語で書くのが
普通だったのですが、
鈴木氏は
ドイツ語に自信がない
という事で、
翻訳を人に頼みました。

しかしその論文は、
鈴木氏が最も強調したかった

『新しい栄養素である』

という一行が翻訳されず、
さらに誤報だらけ・・・。

情報は歪曲して伝えられ、
意味不明な論文として
扱われてしまいました。

結果、
オリザニン発見のニュースは
世界に知られることは
ありませんでした。