相対性理論で知られる物理学者、
アルバート・アインシュタインは
1922年に来日し、
次のような言葉を残している。

「私は地球上に
このように謙虚にして
品位ある国民が存在することに
深い感銘を受けた。

私は世界各地を旅行してきたが、
いまだかつて、
このような気持ちの良い国民に
出会ったことがない。

日本の自然や芸術は美しく、
深い親しみを覚える」

アインシュタイン博士は、
ドイツにいた頃から
日用品に東洋風のものを
使用していたそうですが、
日本びいきを決定づけたのは
1922年のことでした。

10月8日、日本郵船「北野丸」で
フランス南部・地中海に面した
マルセイユを出港。

11月10日(香港〜上海の途上)、
スウェーデン科学アカデミーが
アインシュタインに

1921年度ノーベル物理学賞
(光電効果の法則等について。
相対性理論についてではない)
を授与することを発表し、
船上でこの電報を受けました。

このニュースは
日本国内にも伝えられ、結果、
日本各地で更なる歓待を
受けることとなりました。

当時の貨幣価値3円
(オペラの席料と同じくらい)
という高額な入場料
であったにもかかわらず、
全国7ヶ所で行われた
アインシュタイン博士の講演に
計1万400人が詰め掛けたのです。

特にすごかったのは仙台。

ノーベル賞受賞は
来日1年前だった
ということもあり、
アインシュタイン博士自身が
「命の危険を感じた」
と感じるほどの
熱狂振りだったとか。

一ヶ月半ほどの
多忙なスケジュールでしたが、
合間をぬって各所で能や
博物館を見学したり、
松島で月見をしたりと
日本文化を
存分に堪能したそうです。

外国人には
受け入れづらいであろう
味噌汁や海藻にもチャレンジし、
好きな日本の食べ物として
天ぷらと昆布を挙げています。

とはいえ何もかもすべて
好意的に見ていたわけでなく、
人力車に乗るよう勧められた時は
「非人道的な奴隷労働」
として乗車を拒否したとか。

講演で訪れた中では、
東北大学を評価していたとか。

後に
「アインシュタイン博士が
『やがて我々の大学と
競争関係に入る大学は
東北大学だ』
と書いてあったから」
という理由で、

ブラックホールの特異点定理の
スティーブン・ホーキンス博士が
訪れたほどです。

上記の歓迎振りや
松島の風景と共に、
日本で一番印象に残った地域
だったのかもしれません。

1939年、当時の
アメリカ合衆国大統領であった
フランクリン・ルーズベルト宛ての
原子力とその軍事利用の可能性に
触れた手紙に署名。

その手紙は
「確信は持てませんが、
非常に強大な
新型の爆弾が作られることが、
十分に考えられます。

この爆弾一つだけでも、
船で運んで爆発させれば、
港全体ばかりかその周辺部も
壊すことができるほどの
威力を持っています」
という内容でした。