日本が30年間統治したパラオ

電気を引き、道路を舗装し、
工場を作り
パラオの近代化に貢献した日本。

その日本統治の後に米国がきた。

彼らがやったことは発電所を壊し
道路の舗装を剥がすことだった。

「まるで日本の存在を
全て消すための作業に見えた」

実際「日本は侵略国で悪い国」
だと教えられ、
主都コロールと本島を結ぶ橋も
米国の発注で
韓国企業が建設した。

1977年に、韓国の建設会社である
SOCIOにより、コロール島と
バベルダオブ島を結ぶ
コンクリート製の橋が建設された。

設計上は風速67mの暴風や
激震に耐えられるとされていた。

なお、建設業者選定入札において、
SOCIOが鹿島建設の
半額の入札価格を提示し落札した。

SOCIOは、1994年に崩壊した
韓国の聖水大橋
(施工は韓国の東亜建設産業
日本の東亜建設工業とは無関係)
にも関わっている。

建設直後から
橋の中央部がへこみ始め、
20日もしない内に
4フィート(約1.2m)も陥没した。

各国の会社により補修、
補強作業が何度も行われたが、
1990年にパラオ政府は、
230万ドルをかけた
補強工事を選択した。

しかし、
1996年9月26日午後5時35分頃、
轟音と共に突如
中央部から
真っ二つに折れて崩落し、
2名が死亡、4名が負傷した。

橋はコロール島からパラオ国際空港
(後にロマン・トメトゥチェル国際空港に改名)
へと向かう唯一の道路であり、
またバベルダオブ島から
コロールへ供給されていた
電気、水道、電話などの
ライフラインが通っていたため
首都機能が麻痺し、
クニオ・ナカムラ大統領は
国家非常事態宣言を発令した。

「暗黒の9月事件
(Black September)」
とも呼ばれている。

その直後から官民挙げての
復旧作業が進められ、
9月30日に緊急の
送電線を敷設したことで
電気が復旧した。

続いて10月6日には、橋の両側から
消防用ホースを通して、
時間制限付きながらも
水道を復旧させた。

また交通手段として
渡し舟が復活した。

各国もKB橋崩落を受け、
支援を開始した。

日本国政府も飲料水の緊急輸送や
仮設橋(ポンツーンと呼ばれる
プレートをつないで作る浮き橋)
の設置などの支援を行った。

KB橋は、建設当初から
手抜き工事の疑惑が
指摘されており、
住民は避難路を確保するため、
車の窓を開けて最徐行するなどの
自衛策を採っていた。

KB橋は、ハングルと
アルファベットの碑文が刻まれてた
記念碑のみが残されているが、
何者かにより
「KOREA」の文字が
削られている。