●安政6年(1859年)
に日本に来たイギリス公使
サー・ラザフォード・オールコック
の記述を読み、一体なぜ彼が、
少々不思議と思える予言をしたのか、
解き難い謎のように感じた。

「物質文明ついて言えば、
日本が、東方諸国民の
第一位にあることは
疑う余地ない。

もし彼らが応用化学の
知識において欠けるところがなく、
機械工業が進歩するならば、
彼らはヨーロッパ諸国民と
優に競争しうるであろう。

従って日本の統治者が政策として、
交通及び貿易を自由にし、
日本をしてバーミンガム、
シュツフェルド、マンチェスターなどと
競争する自由を得せしむるならば、
我らの蒸気機関や、
全ての機械の驚くべき
応用知識は共に輸入せられて、
彼らはたちまちのうちに、
その手に成れる鉄器類を持って
シュツフェルドと競い、
その絹を以てリヨンと競争するに
至ることは、疑う余地ない」

●彼が来た安政6年とは、
日本がまだ開国したばかりで
近代産業は皆無に等しく、
しかも井伊大老の暗殺があって
世情は騒然としており、到底、
落ち着いて近代化に着手するような
雰囲気ではなかったと思われる。

●日本人に非常に厳しい評価を
下しているオールコックも、

「日本の文明にはまた
道徳的及び知的分子なきにあらず。

しかもその量はアジアの他の
国々よりはるかに多し」

としている。この

「知的分子=知的好奇心の旺盛さ」

は多くの人が指摘しているが、
さらにオールコックは、
法や社会的ルールを非常に重んじ、
それが重荷となって
自殺する者が多いこと、そして
「国益的愛国心」が異常なほど
強いことを指摘している。

●当時ヨーロッパでは
礼儀正しさやマナーのよさは
支配層がほぼ独占する資質であり、
中国でも礼は士大夫のもので
庶民には下らずということであった。

それなのに日本では
庶民が礼儀正しい・・・。

これは彼らにとっては
大きな驚きでもあった。

現在でも日本人は、
どんな大きな集会でも
乱れることはない。

満員電車に文句ひとつ
いうことなく乗り、
乗り降りの際にも
大きな混乱はない。

渋滞する交差点でも
秩序正しく自動車が動く。

日本の国民性はその意味では
幕末の頃から何も変わっていない。

●1690年に長崎出島の
オランダ商館の医師として訪れた
ドイツ人、
エンゲルベルト・ケンペルも

「この帝国全体を一箇の
礼儀作法学校と呼ぶも可ならん」

と述べているという。
(前掲 横山論文)

日本人の
「礼儀正しきこと」は、
「世界の最も礼法整いたる
国民に期待しうるものにもまさり」

しかもそれが

「いと賤しき田夫から、
やんごとなき貴人、
領主に至るまで」

見られると指摘している。

●トーマス・グラバー

「幕末に長州、薩摩、肥後、
肥前、宇和島の各藩とは何十万、
何百万両の取引をしたが、
賄賂は一銭も使わなかった。

これは、賄賂をふところに
入れるような武士は一、二の
例外を除いて一人もおらず、
みな高潔かつ清廉であったためで、
賄賂をしたくともできなかった。

このことはぜひ特筆大書にして
後世に伝えていただきたい」

●安政の大地震はM8.4だった。

大津波で3万人が死んだ。

しかし「日本人は落胆燃せず、
雄々しく仕事に取り掛かっていた」

『ペリル提督日本遠征記』にある。

●横浜の大火に遭った
エドワーズ・モースは

「老いも若きもまるで
祭礼でもあるかのように
微笑すら堪えて復興に
歩みだしていた」と、
全てを受け入れる
日本人の姿を表している。

●スウェーデンの植物学者
カール・ツュンベリは、
1775年、出島に来て
江戸出府に加わり日本人を観察、記録した。

「彼らは第一級民族。

勤勉で賢明で礼儀正しく勇敢」

と評価し

「支那朝鮮では女は奴隷なのに、
この国では女が男と同席し、
表も自由に歩く」ことや

「清潔好きで週に一度
どころか毎日風呂に入る」

ことに驚きの目を見張った。

いかかでしたでしょうか?

日本はこんなにも
古い時代から外国人から
感銘を受けていたことが
わかりました。

最後までお読み頂きありがとうございました。