昭和天皇の果たされなかった
願いをご存知でしょうか。

昭和天皇の最大の功績として
全国御巡幸を上げられる方も多いです。

戦後、足掛け8年半、約3万3000キロに及ぶ
全国への行脚が行われました。

たった一箇所だけ陛下が
御訪問することができなかた
場所があるのです。

それは沖縄でした。

全国巡幸中、沖縄は米国施政下のため
47都道府県で唯一訪問することが
出来ませんでした。

また、昭和天皇に恨みを持っている
人間も少なからずおり、
沖縄訪問だけは周りの方から
とめられていたのです。

しかし、陛下ご自身の沖縄と
沖縄県民に対する思いは大変に深く、
非難を浴びようと沖縄訪問を
実現したいと強く臨んでおられました。

それから月日が経ち、
昭和62年に念願の沖縄訪問が
実現する運びになったのです。

この時点で既に86歳。

年齢や体力を考えても、
これが最後のチャンスでした。

昭和天皇は4月のご誕生日の会見で、

「念願の沖縄訪問が実現することになったならば、
戦没者の霊を慰め、長年の県民の苦労をねぎらいたい」

と訪問への希望を述べられました。

しかし、9月に入り昭和天皇は
体調を崩しています。

何度も嘔吐の繰り返し、体重が激減。

腸閉塞と診断され、
手術が必要な状況になってしまうのです。

侍医らは手術を決め、
訪沖は幻に終わってしまうのです。

手術後はご公務に復帰し、
回復したように見えましたが
翌年には吐血・下血を繰り返します。

十二指腸乳頭周囲腫瘍(腺癌)と診断され、
病床に伏すことになります。

このお言葉を聞けば、
どれだけ沖縄訪問を
切望していたかが伝わってきます。

晩年、昭和天皇は病床で「もう、駄目か」と言われます。

医師たちは、ご自分の命のことかと思われましたが、
実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのです。

昭和63年に発表された御製からも、陛下の想いが伝わってきます。

思はざる 病となりぬ 沖縄を
たづねて果さむ つとめありしを

最後の最後まで、沖縄を深く思われ、
いかに御訪問を待ち望んでおられたか、
お気持ちが胸に迫ってきます。

その昭和天皇の御心は、
平成5年に今上陛下によって果たされます。

今上陛下は、歴代天皇初の沖縄ご訪問をなさいました。

その時、原稿なしで遺族を前に5分間にわたって、
御心のこもったお言葉で語りかけられました。

その時の御言葉がこちらです。

「先の大戦では実に多くの
命が失われました。

中でも沖縄県が戦場となり、
住民を巻き込む地上戦が行われ、
20万人の人々が犠牲になったことに対し、
言葉に尽くせぬものを感じます。

ここに深く哀悼の意を表したいと思います。

戦後も沖縄の人々の歩んだ道は
厳しいものがあったと察せられます。

そのような中でそれぞれの痛みを持ちつつ、
郷土の復興に立ち上がり、
今日の沖縄を築き上げたことを
深くねぎらいたいと思います。

今、世界は平和を望みつつも、
いまだに戦争を過去のものにするに
至っておりません。

平和を保っていくには
一人一人の平和への希求と
そのために努力を払っていくことを、
日々積み重ねていくことが必要と思います。

沖縄県民を含む国民とともに、
戦争のために亡くなった多くの人々の
死を無にすることなく、
常に自国と世界の歴史を理解し、
平和を念頭に続けていきたいものです。

遺族の皆さん、
どうかくれぐれも健康に留意され、
元気に過ごされるよう願っています」

そして、陛下は遺族一人一人に

「大変だったね。ご苦労だったね」

とお声をお掛けになったのです。

この言葉に、険しい表情であった
遺族はこのように答えました。

「長い間ご苦労様でした、
という御言葉をもらったので満足しています。

お言葉には戦没者へのいたわりが感じられました。

陛下のお言葉でまた一生懸命やろうという
気持ちが湧いてきました」

「なぜか泣けて言葉にならなかった。
沖縄のことを愛しているのだろうという
気持ちがこみ上げてきた」

こうして昭和天皇が昭和21年2月から
始められた御巡幸は45年もの月日を経て
一区切りがついたのです。