当時(昭和50年頃)、天皇陛下に対する
アメリカ国民の反応は冷ややかなものでした。

しかし、この時期に天皇陛下が訪米。

その時に語られたお言葉により、
その態度は一変しました。

アメリカ国民の心を打ったエピソードです。

1975年(昭和50年)、
天皇皇后両陛下がご訪米された時のことです。

このご訪米までのアメリカ国民の反応は、
「冷淡」「無関心」というものが多かったようです。

ご訪米が1ヶ月以内に迫っても、
アメリカのジャーナリズムでは天皇陛下の
訪米はほとんど話題になりませんでした。

ました一般のアメリカ人はほとんど知らないし、
関心も持っていませんでした。

アメリカ国民の日本に対する関心は
経済面に集中しており、
それ以外のことには
ほとんど関心がないし、知りません。

ところが、
ご訪米されてから
その様相は一変します。

それまで『ニューヨーク・タイムズ』には、
日米首脳会談のニュースでさえ一面に
掲載されたことはありませんでした。

ところが天皇陛下のご訪米は
6日連続トップ記事で
それも写真入りで掲載されたのでした。

このように、天皇陛下がアメリカに到着され、
陛下を目の当たりにするようになってから、
全米での日を追って訪米歓迎の空気が盛り上がりました。

なぜ、このように、訪米当初と
180度違う対応になったのか。

実は、アメリカ国民が心から感動し、
天皇陛下を尊敬するきっかけがあったのです。

それは、ホワイトハウスでも公式歓迎晩餐会における
天皇陛下のお言葉でした。

天皇陛下の感謝の言葉

「私は多年、貴国訪問を念願にしておりましたが、
もしそのことが叶えられた時には、
次のことをぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。

と申しますのは、私が深く悲しみとする、
あの不幸な戦争の直後、貴国が我が国の再建のために、
温かい好意と援助の手をさしのべられたことに対し、
貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。

当時を知らない新しい世代が、
今日、日米それぞれの社会において
過半数を占めようとしております。

しかし、たとえ今後の、時代は移り変わろうとも、
この貴国民の寛容と善意とは、日本国民の間に
永く語り継がれていくものと信じます」

いったい何を感謝しているのか。

これを聞いてピンと来る人の方が
少ないと思うので説明していきます。

敗戦後の日本が直面した大きな問題の一つは、
何と言っても食糧難でした。

昭和20年の米の収穫量は平年の
6割という明治38年以来の不作。

それに加え外地からの引き揚げ者、
復員軍人などの人口増で、
食糧難は悪化するばかりでした。

国民の窮状を心配された天皇陛下は、
このように言われました。

「皇室の御物の中には国際的価値のあるものが
相当あるとのことだから、
これを代償としてアメリカに渡し、
食料に代えて国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい」

このように言われて、
侍従に御物目録をつくらせました。

しかし、この話を聞いたアメリカ側からは、
御物を求めるどころか、
無償で食糧を提供されました。

「御物を取り上げてその代償として
食糧を提供する自分とアメリカの
面目にかけてもできない」

陛下の考えに感激した連合国軍最高司令官
マッカーサー元帥はこのように言われ、
アメリカ本国に食糧緊急援助を要請し、
これが実って日本の食糧危機は
大幅に緩和されたのでした。

天皇陛下ご訪米当時、アメリカ人は
国際政治や外交に自信をなくしていました。

この半年前に、世界史上に残る大きな屈辱、
ベトナム戦争の敗北を経験したのでした。

第2時世界大戦後、アメリカは西欧や日本、
そしてアジアに多くの援助を行ってきました。

ところが中には感謝どころか、
反米運動さえ起こっている国もあったのです。

そのような時期に天皇陛下が訪問し、
今までの援助に感謝を表明され
語り継がれていくと述べられたことは
アメリカ国民に救いと大きな喜びを与えました。

恩を恩として感じ、いつまでも忘れない、
そういう天皇陛下のお心が
米国人を感動させたのです。

人から受けた恩を感じて、長年にわたって
感謝し続けることはなかなか
できることではありません。

ましてや戦争をしていた相手国です。

普通であれば心の中で様々な
葛藤があるのは容易に想像できます。

しかし、そのような素振りも全く無く、
心から感謝の気持ちを述べられる陛下の
お姿に多くのアメリカ人は感動したのでしょう。

天皇陛下のこうような御姿勢を、
私達も学ばなければいけませんね。

まさに日本の象徴です。