「韓国併合(日韓併合)」とは、
1910年に日本と
当時の大韓帝国との間で締結した
「韓国併合に関する条約」
により、
日本が大韓帝国を
併合したことを指す。

日本が一方的に
武力で制圧し占領したものではなく、
当時の大韓帝国が
日本の統治に入ることを選択し、
条約を締結することで
実現したものである。

日韓併合以前の
朝鮮半島について

日韓併合(1910-1945年)前の朝鮮。飢えと貧困にあえぐ人々。 [1880年代のソウル南大門大通り(中心街)] 日本はこの朝鮮を建て直した。

「韓国併合」「日韓併合」
といった場合の
「韓国」
現在の大韓民国ではなく、
大韓帝国のことで、

おおよそ現在の韓国と
北朝鮮をあわせた
朝鮮半島一帯を
治めていた国である。

元々は朝鮮、
または李氏朝鮮(りしちょうせん)
という国名で、
この李氏朝鮮という国名は、
一口で言えば明や清(中国)の属国でした。

李氏朝鮮という国は、
1392年から約500年間
朝鮮半島を支配していた王朝で、
この国は、
それまで朝鮮半島を
支配していた高麗の臣下である
李成桂という人物が主君を裏切り
明(ミン)の力を借りて
王の座に着いたことで
興った国であったため、
李王朝建国後も継続して
明の支配下に置かれ、
続く清王朝にも引き続き
属国として扱われていた。

敵国であった明の協力で
打ち立てられた国で
その後の李朝が明の
属隷国家に転落したのは
必然である。

国民は奴隷民族化され、
私有財産も没収された。

李朝は専制王権制度に体制を変え、
朝鮮民族が古代から高麗に至るまで
連綿と持ち続けた国際的自尊を放棄し、
明の属国として堕落が始まった。

チェ・ケイホ著
『歴史再検証 日韓併合の真実』より

【李朝は、讒言(ざんげん)と嘘で血塗られた
残酷史の連続であった。
これは、今日、北朝鮮の金政権に引き継がれている。

残念ながら、
私は李朝500余年の「朝鮮王朝」と今日の「北朝鮮」は、
住民を奴隷にした暴虐集団である点で共通していて、
「国家」という概念にはあたらないと考えている。

(中略)

全ての科学・社会・宗教・芸術を虐待し続け、
両班階級が住民を蛆虫のように扱った500余年間、
人口は今日の北朝鮮と同様、
搾取と飢餓によって減少を続けた。

他力本願ながら、
李朝の歴史に終止符を打った日韓併合は、
この民族にとって千載一遇の好機であった。

これを否定することは、歴史の歪曲である。】

韓国併合(日韓併合)の
日本側の理由

そんな韓国を、
日本が併合した理由は、
もちろん李王朝の暴政から
朝鮮の人々を救うためなどではありませんでした。

日本は幕末以来、
自らの国家の存亡の危機を
痛感しており、
特に明治時代前半は、
勢力を南下させる動きを
見せていたロシアの脅威を
最も強く感じていた。

日本にとって、
ロシアの勢力が朝鮮にまで
南下されてしまうということは、
北海道のすぐ北のサハリンと
九州のすぐ北の朝鮮半島とで
挟み撃ちの形となり、
日本への侵略も時間の問題
ということになっていしまうため、
朝鮮半島は何としても
死守しなければならないという状況にあった。

しかし、
そのような荒んだ社会状況にあった李氏朝鮮は、
勢いに乗るロシアから自国を守る力は
到底ありませんでした。

そこで日本は
朝鮮半島をなんとかして近代化し、
ロシアの進出を防ぐために影響力を
及ぼそうとしましたが、
李氏朝鮮を長年属国として
扱ってきた清がそれを許しませんでした。

そうして日本と清との間で勃発した戦争が
「日清戦争」(1894〜1895年)です。

結局、
日本はこの日清戦争に勝利し、
朝鮮半島を独立させることに成功します。

この戦争の直後から李氏朝鮮は国号を
大韓帝国と改めました。

また、
これによって朝鮮の王であった高宗は、
清からの独立を喜び、
自らを「王」から「皇帝」に昇格させ、
清の「皇帝」と肩を並べたということです。

これにより韓国は、独立国として、
清に代わって日本の影響下に入り、
その後の韓国併合に繫がっていくことになる。