安倍総理が深い礼をした直後
それは起こったのです。

このような重要で大切な出来事が
日本では、内容どころか、
インド国会での演説自体
全く報道されていません。

しかし、インドの主要メディアは
新聞の全面を割いて、安倍首相の
一言一句を違えず、全文を伝えた程の
演説がここにあります。

そして、最後の一文を読み終えた後、
安倍首相が深い礼をした直後・・・
それは起こりました。

それまで、静寂が打ち破られ、
インド国会議事堂が突如、
全議員、総立ちとなり、
長く、長く
拍手が鳴り止まなかったのです。

その安倍首相の言葉を一部、
ご紹介させていただきます。

インド国民を代表する議員の皆様と
並びにご列席の皆様、
初めに私は、今この瞬間にも自然の
大いなる猛威によって犠牲となり、
豪雨による苦しみに耐えておられる
インドの皆様に、
心からお見舞いを
申し上げたいと思います。

さて、
本日私は、世界最大の民主主義国に
おいて、国権の最高機関で演説する
栄誉に浴しました。

皆様、私たちは今、歴史的、地理的に、
どんな場所に立っているのでしょうか。

すなわちそれは、
「二つの海の交わり」が生まれつつ
ある時と、ところにほかなりません。

私は、このことをインド10億の人々に
直接伝えようとしてまいりました。

だからこそ私は今、
ここ「セントラル・ホール」に立っています。
インド国民が選んだ代議員の皆様に、
お話ししようとしているのです。

日本とインドの間には過去に幾度か、
お互いを引き合った時期がありました。

明日私は、
ラダビノード・パール判事のご子息に
お目にかかることになるでしょう。
極東国際軍事裁判で気高い勇気を
示されたパール判事は、たくさんの
日本人から今も変わらぬ尊敬を
集めているのです。

ラダビノード・パール

 

「私は日本の同情者として判決
したのでもなく、またこれを裁い
た欧米化の反対者として裁定を
下したのでもない。真実を真実
と認め。法の真理を適用した
までである。それ以上のもの
でも、それ以下のものでもない。

 

 

インドが世界史に及ぼすことのできる
貢献とはまず、その寛容の精神を
用いることではないでしょうか。

アショカ王の治世から
マハトマ・ガンディーの
不服従運動に至るまで、
日本人はインドの精神史に、
寛容の心が脈々と
流れているのを知っています。

私はインドの人々に対し、
寛容の精神こそが今世紀の主導理念と
なるように、日本人は共に働く準備が
あることを強く申し上げたいと
思います。

志を同じくする諸国と力を
合わせつつ、これを保全という、
私たちに課せられた重責を、
これからは共に担っていこうでは
ありませんか。

 

私の祖父・岸信介は、今から
ちょうど50年前、日本の総理大臣
として初めて貴国を訪問しました。
時のネルー首相は数万の民衆を集めた
野外集会に岸を連れ出し、

 

 

 

 

「この人が自分の尊敬する国
日本から来た首相である」

と力強い紹介をしたのだと、
私は祖父の膝下(しっか)、
聞かされました。
敗戦者の指導者として、
よほどに嬉しかったに違いありません。

また岸は、日本政府として戦後
最初のODAを実施した首相です。
まだ貧しかった日本か名誉にかけても
ODAを出したいと考えました。
この時それを受けてくれた国が
貴国、インドでありました。
このことも、祖父は
忘れておりませんでした。
私は皆様が日本に原爆が落とされた日
必ず決まって祈りを捧げてくれている
ことを知っています。

日本が不況から脱しようともがき、
苦しんでいるその最中、日本の

「陽はまた昇る」

と言ってくれたのです。

これら全てに対し、
私は日本国民になり代わり、
お礼を申し上げます。

インドと日本も、絶妙の同調を見せる
パートナーでありたいものです。
いえ必ずや、
なれることでありましょう。

ご清聴ありがとうございました。