2016年8月8日、

天皇陛下がご自身のお言葉を
おさめたビデオメッセージを公開、

お気持ちを表されました。

生前退位というお言葉こそ
聞かれませんでしたが

「次第に進む身体の衰えを
考慮する時、

象徴の務めを果たしていくことが
難しくなるのではないかと
案じています」

と語られ、
その意向が強くにじむものとなりました。

陛下には、そのお人柄が
垣間見える印象的なエピソードが
沢山あります。

その一部を
ご紹介したいと思います。

1.雨の日も顔が見えるようにとビニール傘を

2011年7月に
東日本大地震の復興状況の
視察とお見舞いに
岩手県の被災地を訪れた陛下。

あいにく雨の中、
従業員全員が屋外に
整列して出迎える中、

宮内庁職員が
いつもお使いの黒い大きな雨傘を
差し出すと小声で
何か指示を出されました。

職員が急いで取り出したのは
透明のビニール傘。

雨の中待っていた人達の為に、
お顔がよく見えるように
とのご配慮でした。

陛下がビニール傘と
出会ったのは2010年の事。

雨の中の植樹祭で
メディアから
よく見える様にと急遽、

県の関係者が
ビニール傘を用意したところ

「雨でも顔がよく見える」

と気に入られ
それからビニール傘を
車に準備なさっているのだそうです。

2.歴代天皇で初めて床に膝をついて被災者をお見舞い

1991年7月、
長崎県の雲仙普賢岳噴火の
避難所を訪れた際、

歴代天皇で初めて
床に膝をついて
被災者とお話しされました。

実は、膝をついて
被災者と直接話をするのは、
陛下が皇太子時代に
始められた事。

それまで天皇陛下が
国民の前で膝を曲げることは
ありえませんでした。

これ以降、
皇后陛下や皇族の方達も、
被災地慰問の際には
これにならっています。

3.障害者福祉を大きく前進

皇太子時代に名誉総裁を務められた
1964年の東京五輪の後に
行われたパラリンピック。

「この様な大会を、
国内でも毎年行って
もらいたいと思います」

と述べられた事が、
きっかけとなり、

翌1965年から国体に合わせて
身障者スポーツ大会が
開催される様になりました。

2015年10月には、
太陽の家サンスポーツセンターの
トレーニングルームを
ご視察なさった際、

「ちょっとやりましょうか」
と仰ると、
スーツのままラケットを持つと、

パラリンピック目指している
宿野部拓海選手と
卓球でラリーをご披露して、

周囲を驚かせるという
お茶目ない一面も。

4.皇室で初めて家族で子育て

昭和35年、殿下に初のお子様、
浩宮様が誕生。

その後の会見で殿下は

「親子三人、
川の字になって寝る様な
家庭を作りたい」

と話され、

皇室の慣例になかった
「親子同居」を決意された。

「親子三人が川の字になって
寝る様な家庭を作りたい」

と話され、

皇室の慣例になかった
親子同居に踏み切りました。

そして平安時代から
続いた乳人制度を廃止。

それまでの
宮中のしきたりでは、
親子別居が
当然だったのです。

そして子育ての様子を
公開されます。

「開かれた皇室」として
その存在が一気に
身近なものになりました。

また、
天皇家の長女・紀宮様と
東京都職員黒田慶樹さんの
結婚式と披露宴にも

天皇陛下、皇后両陛下はじめ、
皇太子ご夫妻、

秋篠宮ご一家らと揃って
出席されました。

天皇陛下が民間の結婚式と
披露宴に出席するのも
異例な事でした。

5.秋篠宮様を池に!

教育係を置かずに
「子供の教育は極力自分たちで」
と話され、

教育熱心な事でも知られている
今上陛下。

秋篠宮様らと親しい記者、
江森敬治さんの著書
『秋篠宮様』で紹介された
有名なエピソードが

小学生の時に
ペットのテンジクネズミを

「水の中で泳ぐかも?」

と思って庭の池に入れたところ、

冬だった事もあり
泳ぐどころか
心臓麻痺で死んでしまいました。

ちょうど通りかかられた陛下に
「何をしている?」と聞かれ

「泳がしたら死んじゃった」
と答えると、次の瞬間、

秋篠宮様は
陛下によって
池に投げ込まれてしまいました。

「何よりも大切な命の重さ」
教える陛下の
スパルタなエピソードです。