下院議員で、
ニューヨーク州選出の共和党議員だった
ハミルトン・フィッシュはルーズベルト(民主党)
の政敵とされてたアメリカ共和党の
主導的政治家であった人物である。(1991年没)

ハミルトン・フィッシュは日本人にはほとんど知られていないが日本と関係の深い人である。

知られていない理由はいたって簡単。

戦後すぐから、
アメリカにとって不利な「太平洋の真実」の証言をしたため、
アメリカでは「修正主義者」のレッテルを貼られ、
日本ではマスコミや大学ですら、
アメリカに気遣って絶対に紹介しなかったからだ。

 

 

▪️フィッシュは何をした人なの?

真珠湾攻撃の翌日(1941年12月8日)、
フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は
日本に対して宣戦布告を求める議会演説(恥辱の日演説)を行った。

ルーズベルトの演説に続いて、
下院議員としてそれを容認する演説を行ったのがフィッシュだった。

フィッシュの演説を全米2500万人
(当時のアメリカ人口は約1億3000万人)がラジオを通じて聴いた。

実はフィッシュは大のルーズベルト嫌いだった。

ヨーロッパの戦いに干渉したがるルーズベルトを警戒し、
アメリカが参戦することに強く反対していた。

フィッシュはアメリカ孤立主義運動の先頭にたつ有力議員だった。

当時、アメリカ世論の8割以上が第1次世界大戦で多くの若者が
アメリカとは関係ない(と考えていた)ヨーロッパで死んだため

厭戦(えんせん)気分が蔓延し、
ヨーロッパやアジアの争いに巻き込まれることを拒否していた。

その世論を一気に変えたのが真珠湾攻撃であった。

アメリカ孤立主義運動の指導者だったフィッシュも、
対日宣戦布告を容認せざるを得なかった。

▪️開戦時

フィッシュが行った演説

「議長、私は悲しみと日本に対する深い憤りの念を持って、
宣戦布告に対する支持を表明するものです

私は過去3年の間、
欧州及びアジアに置ける戦争にアメリカが参加することに一貫して反対してきました。

しかし、ワシントンにおける和平交渉継続中に、かつ、
最終段階における天皇に対する大統領の個人的要請を無視して行われた、

日本の海、空軍による不当、邪悪かつ厚顔無恥で、
卑怯な攻撃の結果、戦争は不可避となり必要となりました。

米国内で論争、対立をすべき時は過ぎました。
今や行動をとるべき時なのです。

介入主義者及び非介入主義者は、
相互に告発と再告発、
批判と反論を繰り返す事を止め戦争遂行のために大統領と政府の下で
一致団結しなければなりません。
日本による残虐な攻撃に対する答えはただ一つ、
いかなる血、財産及び悲しみを代償としても、
最終的勝利まで戦い抜くという事であります。
この日本の領土に対する、
挑発されない、かつ無意味な侵略行為は、
戦争によって報いなければなりません。

私は、外国における戦争に介入することに一貫して反対してきましたが、
同時に、もしも我々が外国勢力により攻撃を受けるか、または合衆国会議が
米国的かつ憲法に合致した方法で宣誓を布告した場合には、
大統領とその政府を最後の最後まで支持する、
ということも繰り返し表明してきました。

神々は、
その滅ぼそうとする者たちを
まず狂気にさせます。

日本は、完全に乱心するに至り、
挑発されない先制攻撃を仕掛けることによって
その陸、海軍及び
国家自体にとっての自殺行為を犯しました。

私は、適当な時期に、
前世界大戦と同様に、戦闘部隊の、
そして望むらくは有色人種部隊の司令官として従軍する事を申し出るつもりです。

米国を防衛し、戦争に狂った日本人の悪魔たちを全滅させるためならば、
私はいかなる犠牲をも払う事でしょう。

今や戦いに臨むのでありますからアメリカの伝統に従い、
昂然と頭を上げていこうではありませんか。

そして、この戦争は、
侵略に対抗し祖国領土を守るためだけのものではなく、
全世界の自由と民主主義を守るための戦いである事を、
かつ我々は勝利を得るまでは戦いを止めない事を、
世界に知らしめようではありませんか。

私は、全米国市民、特に、
共和党員と非介入主義者に対し、個人的見解や派閥意識を捨て、
合衆国軍隊の勝利を確保するために、我々の総司令官である
大統領の下に
団結するよう要請します。

我らが祖国よ!

外国と接するあたり、
祖国が常に正しくあるよう。

しかし、正邪に関わらず、我らが祖国よ!」

このように日本を激しく批判し、アメリカが参戦する事を強く後押ししている。

▪️真実を知ったハミルトン・フィッシュ

ところが、戦後、
フィッシュはこの自分の演説を深く恥じることになる。

なぜなら、ルーズベルト政権の対日交渉の詳細が次々と明らかになってきたからである。

特にフィッシュが問題にしたのは、ルーズベルトが
「ハル・ノート」の存在を議会に隠していたことだった。

ルーズベルトは、

「アメリカが誠意を持って対日交渉を続けている最中に、日本は卑怯にも真珠湾を攻撃した」

と、議会や国民に説明していた。

しかし、それは偽りでした。

フィッシュは、自著
「FDR:The Other Side of the Coin.」(1976年)
でこう振り返っている。
(渡辺惣樹訳、「正論」2014年1月号)

『私たちは、日本が、和平交渉の真っ最中に我が国を攻撃した者だと思い込んでいた。

1941年11月26日の午後に日本の野村大使に国務省で最後通牒が手交された。

それはハル国務長官が渡したものである。

ワシントンの議員の誰一人としてその事を知らなかった。

民主党の議員も共和党の議員もそれを知らされていない。』

フィッシュは共和党員であり、
ルーズベルトの前任で共和党のフーバー大統領の抑制的な対日外交を知っていた。

それだけに、ハル・ノートの内容が日本に対する最後通牒であった事をすぐ理解した。

フィッシュは、ハル・ノートは議会の承認を得ない対日最後通牒であると言い切っている。

それは、議会だけに開戦権限を認める合衆国憲法の精神にも背いた外交文書であった。

フィッシュはルーズベルトを軽蔑するとともに、
自分がその嘘に乗せられ対日宣戦布告を容認した事を強く恥じた。

戦後の研究で、
日本の天皇も指導者も対米戦争を望んでいなかった事までが明らかになると、
彼の怒りは頂点に達した。

別の自著「Tragic Deception:FDR and America’s Involvement in World War Ⅱ.」
(1983年)(邦題「日米開戦の悲劇」岡崎久彦監訳)
の中で、フィッシュはこう述べている。

『私はルーズベルトを許すことができない。

彼はアメリカ国民を欺き、全く不必要な日本との戦争にアメリカを導いた。

日本の指導者が開戦の決断をすることになった
最後通牒ハル・ノートはルーズベルトが真珠湾攻撃を
「恥ずべき行いの日」
と呼んだ事にちなんで、
「恥ずべき最後通牒」
と呼ぶのが適切と思われる。

日本は面積がカリフォルニアにも満たない人口8千万人の比較的小国であった。

天然資源はほとんど保有せず、また冷酷な隣国であるソビエトの脅威に常に直面していた。

天皇は名誉と平和を重んずる人物であり、
側近の攻撃的な軍国主義者を制止するために、
出来る限りのことを行なっていた。

日本はフィリピン及びその他いかなる米国の領土に対しても野心を有していなかった。

しかしながら、一つの国家として日本はその工業、商業航行及び
海軍のための石油なしには存立できなかった。

日本は、コメ及び石油の購入を平和的に保証されないならば
どのような条約にでも署名し、南方に対するいかなる侵略も停止したであろう。

ただ、自由貿易を認めるだけでよかったのだ。

どうしてイギリスが極東における数多くの領土を保有する
絶対的な権利を持つべきであり、その一方で日本が近隣諸国から
コメ、石油、ゴム、錫
その他の商品を購入することさえも
出来ないくらいの制限を米国によって
課せられなければならないのか。
こんな理不尽な話はあり得ない。

米国の最後通牒を受け取った時点の日本は、
四年にわたる戦争の結果、中国のほとんどの海岸線、
大都市、かつ広範な領土及び満州全体を掌握し、
極東最大の勢力となっていた。

このような強力な国家に対し、
米国はこれ以上
何を要求できるのかと言うのか。

天皇及び近衛首相は、平和を維持するために
信じられないほどの譲歩をするつもりである。

非常に平和愛好者である首相の近衛公爵は、
ルーズベルトとの会談を繰り返し要望していた。

在日米国大使であったジョセフ・グルーは、
日本がどれだけ米国と平和的関係を保ちたいと希望していたか承知しており
首脳会談を強く要望していた。

日本は米国との回線を避けるためならば何でもする用意があったであろう。

しかし、ルーズベルトは
すでに対日戦、対独戦を行うことを
決意していたというだけでの理由で日本首相との
話し合いを拒否した。

日本との間の悲惨な戦争は不必要であった。

これは共産主義の脅威をより恐れていた日米両国にとって
悲劇的であった。

我々は、戦争から何も得るところがなかったばかりか、
友好的だった中国を共産主義者の手に奪われることとなった。

イギリスは、それ以上に多くのものを失った。

イギリスは中国に対して特別の利益と特権を失い、
マレーシア、シンガポール、ビルマ、インド及びセイロンをも失った。

日本人は、高度な忠誠心、愛国心に満ちた、
非常に感受性の強い、誇り高き、かつ勇敢な民族である。

このような民族に
『恥ずべき最後通牒ハル・ノート』
を突きつければ、必ず戦争になるとルーズベルトは確信していた。

私はルーズベルトを許すことが出来ない。

この大戦は米国に30万人の死亡者と70万人の負傷者、
そして5千億ドルの出費を米国にもたらした。

日本には軍人、民間人合わせて300万人以上の死亡者をもたらした。

日本の物的、人的、精神的被害は計り知れない。

その責任はルーズベルトが負っているのだ。』

このように、フィッシュは戦争で命を落としたアメリカ人の犠牲を悼むだけでなく
日本人に対しても哀悼の念を表している。

▪️ケビン・ドーク

日米開戦については、
知日派で知られるアメリカのケビン・ドーク氏も、
「正論」2013年9月号の対談記事でこう述べている。

『国際法上、日米開戦の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。

それは、1941年(昭和16年)7月のルーズベルト大統領による日本の在米資金凍結です。

これは、当時の国際法上では「戦争行為」にあたります。

アメリカでは批判される見解かも知れませんが事実です。

ですから、法律的には、
真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと
解釈されます。

日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、
ルーズベルトが仕掛けた。

ただ、彼も日本と戦いたかったのではなく、
国民の意識を
ナチス・ドイツとの戦いに向けようとしたのです。』

▪️ヘレン・ミアーズ

1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日した
ヘレン・ミアーズも1948年の著書
「アメリカの鏡・日本」の中で
こう述べている。

『パールハーバーはアメリカ合衆国の征服を企んで仕掛けられた
「一方的攻撃」であるというが、
この論理では日本を公正に罰することはできない。

なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーは
アメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を
明らかにしているからだ。』

 

▪️チャールズ・A・ビアード

同じ1948年に、やはりルーズベルトを批判した
勇気あるアメリカ人がもう一人いる。

チャールズ・A・ビアードという歴史家で
「ルーズベルトの責任[日米戦争はなぜ始まったのか]」
の中で、

『戦争責任を問われるべきは日本ではなく、
ルーズベルト大統領だ。』

と述べている。

支那事変では、アメリカは(日本軍と戦闘中の)
国民党軍にのみ大量の軍事物資を援助していた。

これは、国際法に照らすと、その相手国に対する戦争行為となる。

それだけでなく、
フライングタイガースという名のアメリカ空軍までをも派遣して
日本軍と戦っている。

宣戦布告なき
「騙し討ち」をしたのは、
実は
アメリカ合衆国の方であった。

また、フィッシュは、
前出の「FDR:The Other Side of the Coin」(1976年)
でもこう述べている。

『日本人はあの戦争を最後まで勇敢に戦った。

我が国と日本の間に二度と戦いがあってはならない。
両国は、偉大な素晴らしい国家として、
自由を守り抜き、互いの独立と主権を尊重し、
未来に向かって歩んでいかねばならない。

日本が攻撃されるようなことがあれば、
我が国は日本を防衛する。

それが我が国のコミットメントである。

そのことを世界は
肝に銘じておかねばならない。』

(引用)