1941年から1945年まで、日本とアメリカは戦争をしていました。

いわゆる大東亜戦争です。

では、なぜ戦争をしたのでしょうか。

その前に

歴史は現代の価値観で評価してはいけません。

そして、物事には時系列というものがあります。

戦前も国際ルールはありましたが、基本的には弱肉強食の時代でした。

先進国が後進国を支配することは普通の事だったのです。

歴史を客観的に辿った時に何が見えてくるのか・・・・

戦争の45年前 領土欲の強いロシアの脅威

日清戦争後の1894年、日本は遼東半島と台湾を租借しますが、「三国干渉」により遼東半島を返還します。

ロシアはその遼東半島に居座り、さらに、満州、朝鮮に介入します。

  • 日本は清から莫大な賠償金を貰い、その金で軍備補強します。
  • 1901年日英同盟
  • この頃のアメリカはやや親日?

これにより1904年「日露戦争」が始まります。

日本は戦争に勝利し、樺太の南半分、遼東半島、南満州鉄道を譲り受けます。

  • 1910年朝鮮併合。
    アメリカはフィリピンを日本は朝鮮を貰うと取引。

 

日本敵視の始まり

1906年この南満州鉄道を、アメリカが共同経営を持ちかけます。

日本はこれを拒否します。

これがアメリカの日本敵視の始まりかも知れません。

大東亜戦争の36年前です。

  • その後ここに関東軍が置かれ将来の満州国独立に向かいます。

アメリカの人種差別観念

アメリカは人種差別観念の強い国家でした。

白人のロシアに勝った日本は油断出来ない怖い存在に見えました。

やがて西欧に「横禍論」が広まります。

さらに日本人の邪悪なイメージが大衆に植え付けられて行きます。

  • 劣等民族を植民地化する事は正しい事だ!と言う認識がこの時代には西欧人の中にあった。

日本を敵視したオレンジ計画

アメリカはこの頃から日本を仮想敵国とするオレンジ計画を作ります。

(1919年頃から非公式立案)

これは戦争シュミレーションです。

日本だけではありませんが、日本は最優先の位置づけでした。

アメリカの行動はこのオレンジ計画に基づきます。

採集目標は日本の植民地化です。

1914年第一次世界大戦始まる。

昨日の敵は今日の友

1916年幻の日露秘密同盟(支那利権のアメリカ排除)

1917年のロシア革命で消滅。 

人種差別撤廃法案の法案

日本は第一次世界大戦後1918年五大国の一つで唯一黄色人種国家でした。

日本は1919年国際連盟に「人種差別撤廃法案」を提出します。

多くの国が賛成しましたがアメリカとイギリスなどが反対します。

彼らは白人と黄色人種が対等と思っていないのです。

  • 1919年関東軍が誕生

それでも日本が脅威と思っていたのはロシアでした。

アメリカとは冷たくされても仲良くしたかったのです。

(勤勉すぎる日本人は薄気味悪かったのでしょうか?)

アメリカの中国進出意欲

アメリカは日英同盟を1923年に解消させ、支那大陸進出を狙います。

日本は支那全土に進出する余裕も、意思もなく?

満州国を守る事だけ考えていました。

アメリカの戦略は、日支を戦争させて日本を弱体化させ、支那市場を奪う事です。

ソ連の戦略は、日支両国を弱体化させ両国を共産化することにありました。

  • 関東軍は外交と謀略で1932年満州を独立させます。

1921年 中国共産党発足

1928年 張作霖爆殺事件

  • 国際連盟が満州建国を認めず
  • 1933年 国際連盟脱退 快挙か? 愚挙か?

支那事変

1931年 汪兆銘政府発足

1931年 柳条湖事件

1937年 南京傀儡政権発足

アメリカは支那の内線を利用して抗日運動を煽ります。

日本は支那の謀略で?(日本側の謀略説が有力?)

支那事変(1937年)が勃発します。

これが支那進出の始まりです。

宣戦布告のない日中戦争です。

支那共産軍も日本軍と蒋介石と戦わせ漁夫の利を得ようとします。

日本は何度も和平に持ち込みますが何故か破綻します。

日中戦争が泥沼化した背景は、中立を守らないアメリカからの蒋介石への莫大な支援です。

蒋介石は中華民国の主席になる。支那/中華民国

  • 支那の政府代表は誰か分からない内戦です。
  • 関東軍は最初から支那に野心を持っていたのか?

1937年 南京占領 南京虐殺はあったのか?

1939年 ノモンハン事件

ルーズベルトの思い込み

大統領ルーズベルトは典型的な反日主義者で日本人根絶?を理想としていました。

しかし、支那に対しては誰もが、その酷さを指摘しても蒋介石を信用していました。

  • 側近にソ連のスパイが大勢いた事は事実。

ソ連共産主義への警戒心がなかったのは何故?

 

狡猾な蒋介石

蒋介石は反日プロパガンダで自分は民主的、日本軍は暴虐というイメージを作り上げます。

しかし蒋介石にとって宝刀の敵は支那共産軍でした、彼は権力を握るために、アメリカと日本を利用したのです。

援助を受ける為に日本と戦い、共産軍との戦いの為に物資を温存したのです。

  • さらに謀略に長けていたのは共産軍でした。
  • 戦後 蒋介石は共産軍に負けて台湾に逃げます。

イギリスで蒋介石は腐敗政治家たちに囲まれているファシストにすぎない。と評されるようになてもアメリカは騙され続けました。

イギリス極東部長は、支那の現実を知らなさすぎるアメリカの無知に驚愕したと言われています。

1937年の支那事変から1945年までの8年間が日中戦争?と言われます。

支那中国の代表は誰だったのでしょうか。

日本は汪兆銘政府を支援し、

アメリカは蒋介石政府を支援し、

ソビエトは共産軍毛沢東を支援します。

まさに内戦を含んだ誰が敵か味方か分からないドロドロの全面戦争です。

しかし汪兆銘と蒋介石に共通していた事は共産軍の脅威でした。

中国人の死者は内戦含め何と1000万人?

日中紛争

支那進駐から一年半後、半分近くを占領します。

日本は支那に親日政権を作ろうとしますが・・・・

蒋介石軍はアメリカの軍事物資の供給で持ちこたえます。

ついに、日本は供給ルート遮断のためベトナム北部ルートに軍隊を進駐させます(1940年)

  • それにしても関東軍は強かった。
  • 関東軍独走?大本営は見て見ぬ振り?
  • ベトナムの宗主国フランスの了解は得ていた。⇦フランスは国益優先

ABCD包囲網

ところがルーズベルトは日本進駐を非難し、1941年経済制裁「ABCD包囲網」を敷きます。

これは日本に対する1回目の宣戦布告です。

日本は、経済制裁の解除で中国からの撤廃も、アメリカ利権も用意していました。

しかしアメリカは戦争をしたかったのです。

  • 当時経済制裁は宣戦布告と同じ事です。

さらにアメリカは1941年日本人の在米資産を凍結し、石油の全面禁輸を実施します、石油禁輸は日本にとって致命的です。

まさに2回目の宣戦布告です。

余談になりますが・・・

日米戦争を望んでいたのは「コミンテルン」です。

彼らは列強同士を戦わせ、それらの国が戦争で疲弊した頃革命にを起こさせ、共産主義かする戦略です。

共産主義は、目的のために手段を選びません。

世界中の戦争には必ず共産主義の謀略があります。

アメリカには見えていなかったのでしょうか。

宣戦布告 対日要求「ハルノート」

1941年11月26日、アメリカは悪名高い一方的な要求「ハルノート」を突きつけます。

まさに3回目の宣戦布告です。

日本は戦争をしたくなかったので、耐えに耐えかね協議を続けました。

しかしそれも破綻し、1941年9月6日の御前会議で、戦うことを選びました。

これで、真珠湾攻撃が決まりました。

日本は、アメリカ大統領にアメリカを攻撃するように仕組まれたのです。

  • 血と汗の結晶の満州国放棄は絶対出来ない。それをアメリカは分かっていた。
  • 10倍以上の国力差だが、座して死を待つより戦って死すべし

 

1943年 汪兆銘政府も米英に宣戦布告 日華共同宣言

真珠湾攻撃

真珠湾攻撃に喜んだのはルーズベルト大統領でした。

念願の最初の一発を打たせた!

これで戦争が出来る。

大統領は米国民の前で「リメンバー パールハーバー」を繰り返し日本との戦争に向かわせました。

真珠湾が攻撃されたとき、アメリカ国民はハルノートの存在すら知らず日本の侵略が始まったと思ったのです。

  • 現在知性のある人で騙し討ちを信じる人はいません。

 

そして終戦・・・

東京裁判の演出

東京裁判は、アメリカが正義で、負けた日本が悪と印象づける演出です。

成熟したヨーロッパでは「勝者が敗者を裁くのは止めよう」という合意があったのに・・・

成熟途上のアメリカはリンチを求めていたのです。

A・B・C級戦犯は、後日4000万人の署名で名誉回復しています。

 

日本人の洗脳計画

占領後の、GHQの洗脳プロパガンダが始まります。

これには日本の左翼も利用しました。

日本国民が悪いのではない、軍部が悪かったというアピールです。

さらに、アメリカが自由と民主主義を教えてくれた。

これで日本の侵略の歴史観が形成されました。

これが、自虐史観の始まりです。

  • 日本が分割統治されなかったのは何故か?

左翼メディアの自虐史観

日本の自虐史観は、日本がすべて悪かった、当時の政治家や軍人たちは皆狂っていた!

そんな事はありません、戦争はアメリカの中国進出政策と、人種差別政策と、石油全面禁輸が原因で起きたのです。

あの状況に追い込まれたとき、誰であろうと戦争しか選択肢はなかったのです。

当時は戦争に善悪はありません、国家の権利でした。

昭和天皇は「先の戦いは、人種問題と石油問題であった」と言われています。

 

戦後70年以上経った今でも続く自虐史観

自虐史観って何?

これが本当の自虐史観。

戦争末期、和平交渉をソ連に頼みました。

ソ連は戦争を長引かせ日本への参戦を狙っていた国です。

日本はそのソ連へ、多大なお土産を用意して仲介を頼んだのです。

ソ連は、のらりくらりと先延ばしして、いきなり宣戦布告をします。

それも故意に布告が日本本土に届かない様にしていきなり進駐したのです。

外交と情報音痴の日本は米ソの冷徹なリアリズムに翻弄されたのです。

 

戦争責任が、もしあるとすれば。

・日本は支那に戦線を広げすぎました。

・アメリカは日本を戦争へ挑発しました。

・ソ連は弱った日本を見て攻め込みました。

 

その責任は各国にあります。

戦争犯罪とは何か?

アメリカは無差別爆撃で民間人約50万人を殺しました。

降伏すると知っていながら原爆2発で民間人約30万人を殺しました。

史上空前の民間人虐殺ホロコーストです。

なぜ日本に原爆を!

それは黄色人種だからでしょう。

  • オレンジ計画を忠実に実行したトルーマン。
  • ルーズベルトに信用されてなかったトルーマン。

原爆は2種類でした。

人体実験を行ったのです。

また原爆をソ連に見せつけておく狙いもありました。

これほどの民間人を組織的に殺した国はありません。

当時の国際法でも、民間人を殺した罪が一番思い戦争犯罪です。

アメリカは最も裁かれる存在です。

終戦後中国の蒋介石と共産軍毛沢東は再び内戦を起こします。

圧倒的な戦力の蒋介石が負けて1949年中華人民共和国が誕生します。

朝鮮戦争とマッカーサー

1950年、朝鮮戦争が勃発します。

北朝鮮・中国・ソ連がアメリカに敵視したのです。

マッカーサーは、共産軍の脅威を実感します。

朝鮮半島が共産化したら、次は日本です。

  • アメリカの本当の敵は共産党だったのです。

急遽

1951年サンフランシスコ講和条約で日本を独立させます。

そして戦争物資の供給基地として日本の産業を支援します。

朝鮮戦争特需といわれるものです。

これが日本の産業復興の始まりです。

マッカーサーは、38度線まで追い返し1953年休戦となりました。

  • 南北朝鮮人の死者だけで400万人と言われます。
  • 中国人の死者は90万人と言われてます。

その後アメリカは、日本を同盟国にします。

アジアで信頼出来るのは日本だと・・・

そうです、日本ほど生真面目で信用出来る国はアジアにはありません。

マッカーサーは朝鮮戦争中の1951年、彼は日本を独立させ、再武装する必要性を説きました。

解任されたマッカーサーは、上院議会で、日本との戦争について

日本が中国大陸に進出したのは侵略戦争ではなかった、自衛のための戦争だった。と

それもあるが・・・

 

「本当に勝ったのは・・・」

戦前、アジアはほとんど西欧諸国の植民地でした。

日本はアジアを解放しようとしたのか、そんな綺麗事ではありません、西欧諸国と同じ事をしたのです。

終戦後、西欧諸国は再びアジアを植民地化する事は出来ませんでした。

結果として、日本の戦争は人種差別をなくしました。

アジア諸国は独立しました。

勝ったのはアジアです。

  • 日本が学習した事 正しい道理でも力の強い不道理に勝てない。
  • 日本は朝鮮、支那の現実を見て独立は無理だ!
  • 西欧諸国と同じ事をやるしかないと考えたのは事実。

ドラッカーは、本当に勝ったのは日本である。この戦争で人種差別世界が打ち砕かれた。

クラウセヴィッツの戦争論。

戦争に勝ったか負けたかは、戦争目的を達成したかどうかで決まる。

「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。お母さんは母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育ってる」

まとめ

この記事は歴史観を辿っただけです。

誰かを非難するものではありません。

戦前を美化するものでもありません。

ただ、

事実は事実ですが、

真実は、ほとんどが推測です。

日本人は水に流す道徳感を持っています。

多くの国民は性善説を支持しています。

二度と同じ過ちを犯さない為に。

先人の名誉の為に。

日本の誇りの為に。

そして・・・

 

建設的な未来志向の為に。